暗闇で錠前を探す戒壇巡りや座光寺の語源の光り輝く臼など見どころも多い元善光寺

元善光寺

長野県飯田市にある元善光寺は、推古天皇の時代、蘇我氏と物部氏の対立のあおりで難波の堀に沈められていた阿弥陀如来の像を、信州麻績(おみ)の里の本多善光が持ち帰って故郷に祀ったのがはじまりとされる寺院です。その後、夢のお告げによって阿弥陀如来像は今の長野市にあたる芋井の里に遷されますが、このいきさつから長らく「元善光寺」とよばれています。「善光寺だけでは片参り」といって、長野の善光寺に詣でるのであれば飯田の元善光寺もいっしょに詣でるのが正しいとされています。

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元善光寺のアクセス方法

住所 長野県飯田市座光寺2638
電話番号 0265-23-2525

元善光寺はJR飯田線の元善光寺駅から徒歩で行ける距離にあります。駅の改札口を出るとすぐに「元善光寺500m」の看板が立っていますので、その看板にしたがって5分ほど歩けば到着できます。

マイカーやレンタカーで行く場合には、中央自動車道の飯田インターチェンジで降りて、国道153号を伊那・駒ヶ根方面に進んで15分ほどで到着します。元善光寺の石段の下に若干台、ほかにも境内の弓道場の周囲、駅からの参道の途中など、いくつかの場所に無料駐車場が開設されていますので、混雑具合に応じて近いところを選べば足ります。

元善光寺の拝観料と

元善光寺の拝観は基本的には無料です。ここは靴を脱いで堂内に上がって仏様に近い場所で参拝できるようになっている上、本堂右手には「戒壇巡り」の入口もあり、1回だけ無料で入ることができます。

ただし、本堂よりも右手にある宝物殿は、大人200円、小人100円の拝観料がかかります。ここには中央自動車道のパーキングエリアの名前でもおなじみの「座光寺」という地名の由来になった、かつて本尊の台座として使っていたところ光輝いたという臼など、元善光寺が保有している貴重な遺品を見ることができます。

暗闇を進む戒壇巡り

元善光寺の名物といえば「戒壇巡り」であり、電気の明かりがまったくない真っ暗闇の廊下を手探りで進んで、本尊の真下にある錠前を触れれば極楽往生できるというものです。戒壇めぐりは長野や甲府の善光寺にも同様のしかけがあります。

本尊の真下にあるという錠前は、横長のそれなりに大きなものですので、見つかれば手触りや音でそれと確認できるはずです。そうはいっても暗闇のなかですので、意外と錠前を素通りして出口まで来てしまうこともあります。

元善光寺の御朱印

元善光寺の御朱印は志納料300円で、本堂で申し出ればいただくことができます。ここは飯田の観光スポットのひとつでもありますので、観光バスで多くの人が訪れた場合には、申し出てから実際に御朱印をいただくまでに時間がかかることもあります。

基本の御朱印は「奉拝 元善光寺」と墨書きされたものですが、御詠歌を書いたものもあります。ほかに1日限定10人ですのであまりお目にかかれませんが、住職が金泥で本尊の一光三尊阿弥陀如来の種字をあらわす梵字を書いた御朱印があります。

オリジナル御朱印帳は立葵の寺紋がデザインされたシンプルなもので、サイズ(小)は1,500円、(大)は1,800円となっています。

元善光寺の御由緒

元善光寺の御由緒については、境内の案内板に次の通り書かれています。

元善光寺の由来
元善光寺は、今から約一千四百年前第三十三代 推古天皇十年に、本多善光卿によって開かれたという。 善光卿は麻績の里の出で、国司に随って都に上 り、ある時難波の堀江で一光三尊の如来にめぐりあい、これを背に負って故里に帰り臼を浄めて安置し奉った。これがこの寺の創りである。
臼はかくしゃくとして輝き、御座光の臼とよばれて今もこの寺の重宝となっている。里を座光寺と称するのもこの臼によるものであろう。
四十一年を過ぎ、第三十五代皇極天皇二年、勅令によって本尊は芋井の里に遷された。今の長野善光寺がそこに始まる。この時同じ一光三尊仏を造ってこの地に留められ、寺は元善光寺とよばれるようになった。
善光寺の名は本多善光卿の名に基き、元善光寺の元は本元の意で、古来善光寺に参詣するだけでは片参りになると言い伝えられた。この寺の由緒の深さをもの語るものといえよう。
昭和四十五年十月 飯田観光協会