楼門や太鼓橋が残る野洲川沿いの古社・矢川神社

矢川神社

矢川神社は、滋賀県甲賀市の神社で、野洲川の川沿いに位置しています。奈良時代の天平宝字6年に創建された古社で、平安時代に成立した延喜式神名帳に式内社として載っています。雨乞いをしたことから「甲賀の雨宮」などの別名もあります。
楼門や太鼓橋などの目を引く文化財が残るほか、境内地は中世の自治組織の遺跡である甲賀郡中惣遺跡群という国史跡に指定されています。
天保13年(1842年)には一帯で幕府の検地に反対する「天保一揆」が起こり、多くの農民が矢川神社に集合し、野洲川沿いを進んで検地役人の滞在していた三上村を包囲しました。

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矢川神社のアクセス方法と駐車場

矢川神社の住所は、滋賀県甲賀市甲南町森尻1460です。
矢川神社へのアクセス方法は、JR草津線「水口駅」で降りて、そこからタクシーで約20分程度です。

矢川神社の由緒や文化財について

矢川神社に残る文化財や、矢川神社の由緒については、境内の案内板に次のように書かれています。

滋賀県指定有形文化財
矢川神社楼門
昭和四十一年七月四日指定
神社の創立は明らかでないが、延喜式神名帳に載る古社である。
楼門は、社記によれば文明四年(一四七二)大和国布留郷五十余村から雨乞いの返礼として 寄進建立されたと伝える。
建物は、県下に遺構の多い三間一戸楼門という形式で、正面三間、側面二間に扉が取り付き、屋根は入母屋造の茅葺。
当初は本来の二階造り楼門であったが、文禄年間(一五九二~一五九六)の大風で、上階は組物より上を失い現在の形になったという。
組物や蟇股、頭貫木鼻、蓑束等の彫刻に室町中期の意匠を窺い知ることができる貴重な建物である。
平成三年三月
滋賀県教育委員会

矢川神社
県指定文化財 棋書仙人図・山水図
この障壁画はもと矢川神社の別当寺、矢川寺清浄院の書院にあったもので、江戸後期の文人画家横井金谷の作である。四面を一つのまとまりとして四つの画題が書かれており、うち一つは棋書仙人図で他は山水画である。矢川神社の作品は近江蕪村と称された彼の晩年の大作である。 (現在県立近代美術館に寄託中)

市指定文化財 太鼓橋
太鼓橋と呼ばれる石造りの反り橋で、社蔵の「そりはし万事日記」から寛文十一年(一六七一)に架橋されたことが知られる。構造は、三列三行に建て並べた九本の円柱を貫でつないで橋脚とし、その上に重厚な梁と桁をわたし板石を並べている。架橋年代が明らかな大型の石造橋として貴重である。
平成十四年三月 甲賀市教育委員会