画家・岡本太郎を驚嘆させた諏訪大社近くの異形の大仏「万治の石仏」

万治の石仏

「万治の石仏」は、長野県諏訪郡下諏訪町にある江戸時代はじめの万治3年(1660年)に造られた大型の石仏です。高さ2.6メートル、奥行き3.7メートルの半球のような胴体に、高さ60センチほどの小さな頭が載せられている異様な姿の石仏ですが、「芸術は爆発だ」の名言で知られる画家の岡本太郎が絶賛したことから有名になりました。近くには諏訪大社の下社春宮も鎮座しています。

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万治の石仏へのアクセス方法

「万治の石仏」は諏訪大社下社春宮に隣接しているため、遠くから来る場合は「下社春宮」の案内標識を目印にするとよいでしょう。
JR中央本線の下諏訪駅からは歩いて25分ほどで、国道20号の春宮大門交差点から北上して諏訪大社に突き当たったら、さらに西に進むと川沿いに石仏まで至る遊歩道が整備されています。

マイカーやレンタカーの場合は中央自動車道の岡谷インターチェンジから国道20号を東へ進んで5分ほどとなります。石仏自体には駐車場がありませんので、隣接の諏訪大社下社春宮の駐車場を利用します。この駐車場は諏訪大社下社春宮の境内の手前にあり、参拝者は無料で利用できます。

万治の石仏の由来

江戸時代の明暦3年(1657年)、高島藩主の諏訪忠晴が諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納しようとして、命令を受けた石工が手頃な岩にノミを振るったところ、その岩から血が流れ出たといいます。そこで石工は作業をやめて阿弥陀仏の像を刻んで供養したのが、ほかならぬ「万治の石仏」だという言い伝えがあります。

現地の案内板にはさらにくわしく次のように書かれています。

万治の石仏と伝説
南無阿弥陀仏万治三年(一六六〇)十一月一日
願主明誉净光心誉廣春
伝説によると諏訪大社下社 (春宮)に石の大鳥居を造る時この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなし仕事をやめた(ノミの跡は現在でも残っている) その夜石工の夢枕に上原山(茅野市) に良い石材があると告げられ果たしてそこに良材を見つける事ができ鳥居は完成したというのである。石工達は、この石に阿弥陀如来をまつって記念とした。尚、この地籍はこの石仏にちなんで古くから下諏訪町字石仏となっている。
下諏訪町