五重塔が映える吉備路の観光スポット・備中国分寺

備中国分寺

岡山市の備中国分寺は、天平時代に聖武天皇の発願で全国各地につくられた国分寺のひとつです。時代の流れで廃絶されていたものを、羽柴秀吉と軍師・黒田官兵衛による水攻めで知られる備中高松城主・清水宗治がいったん再興し、さらに江戸時代にも再興されて現在に至ります。平野に映える美しい姿の五重塔は国の重要文化財となっています。周囲には国分尼寺跡、こうもり塚古墳、作山古墳などの史跡も多く、吉備路自転車道を通ってレンタサイクルでアクセス可能です。また、菜の花、レンゲ、ひまわりなどの名所としても知られます。

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備中国分寺への交通アクセス方法と駐車場

備中国分寺へのマイカーでの交通アクセス方法ですが、岡山自動車道の岡山総社インターチェンジ、または山陽自動車道の倉敷インターチェンジを降りて、一般道を標識にしたがい約10分ほど走れば備中国分寺に行くことができます。タクシーであればJR総社駅から約15分ほどです。

現地には南側と北側の両方に吉備路風土記の丘県営南駐車場・北駐車場があり、すべて無料です。駐車台数は普通車200台、バス15台ですので、かなりの余裕があります。このうち南側の駐車場には「吉備路もてなしの館」があり、喫茶やお土産コーナーが併設されているので、抹茶やぜんざいなどの甘味、うどんなどの軽食にも最適です。

そのほか、JR伯備線吉備線および井原鉄道の総社駅からレンタサイクルで吉備路自転車道を通ってアクセスすることもでき、所要時間としては約20分ほどどなります。

備中国分寺の御朱印のもらい方

備中国分寺の境内には観光案内所を兼ねた休憩所があり、その隣が寺務所になっています。この寺務所(庫裡)は通常は閉まっているようですので、入口の呼び鈴を押して御朱印を依頼します。墨書きの部分には「瑠璃殿」とあり、これは病気平癒などのご利益で知られる薬師如来(薬師瑠璃光如来)を本尊に祀っていることに由来します。

備中国分寺の歴史

備中国分寺の歴史については現地の案内板に次の通り書かれています。

国指定史跡備中国分寺
国分寺は国分尼寺とともに、鎮護国家を祈るため、天平十三年(七四一)に型式天皇の勅願によって建てられた官寺です。
備中国分寺の寺域は東西約一六〇メートル 南北約一八〇メートルで、周囲には幅一、二~一、三メートルの築地塀がめぐらされており、寺域内には南門、中門 金堂、講堂、塔などの伽藍が配置されていました。 昭和四十六年に岡山県教育委員会が実施した発掘調査によって南門跡、中門跡、建物跡、築地土塀などが確認されていますが、金堂跡や講堂跡は現在も寺の境内地のうちに含まれており、その位置や規模などは明らかでありません 備中国分寺は、中世には廃寺となりその後江戸時代中期に至って日照山国分寺として再興されました、現存する伽藍はすべて再興後に建てられたものです。
昭和六十一年八月
文部省 岡山県教育委員会