薬師寺の鎮守ともいわれる源頼義ゆかりの薬師寺八幡宮

薬師寺八幡宮

栃木県下野市にある薬師寺八幡宮は、古くから朝廷に重視されていた下野薬師寺の鎮守として天平宝字年間に宇佐から勧請された、または平安初期に岩清水から勧請されたといわれます。源頼義・源義家父子が前九年の役の際に弓と鏑矢を奉納したとも伝わります。江戸時代には佐竹義宣が本殿・拝殿を再建しています。

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薬師寺八幡宮のアクセス方法と駐車場

住所 栃木県下野市薬師寺1505
電話番号 0285-48-0139

薬師寺八幡宮に電車でアクセスする場合は、JR東北本線の自治医大駅で降りて、東口を出て約3キロ、歩いて30分ほどかかります。
車でアクセスする場合には、北関東自動車道の宇都宮上三川インターチェンジから約10分です。
境内の手前の参道沿いに無料で駐車できる駐車場があります。

薬師寺八幡宮の御朱印

薬師寺八幡宮の御朱印は、以前に流鏑馬もしていたという長い参道の途中右側にある社務所において頂くことができます。
御朱印の初穂料は300円で、神使の鳩や佐竹家の家紋で知られる五本骨日の丸扇などがあしらわれています。
鳥居の手前にある天狗山雷電神社の御朱印もここでいただくことが可能です。

薬師寺八幡宮の由緒

薬師寺八幡宮の由緒は社頭の案内板に次のように書かれています。

《薬師寺郷八幡宮 由緒略記》
・鎮座地 栃木県河内郡南河内町大字薬師寺一五〇九番地
・神紋 菊花
・配神 息長帯姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
・御祭神 主祭神 誉田別命(ホンダワケノミコト)
・配神 玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
「由緒沿革」
人皇五十六代清和天皇の御勅定により東北守護の大神として、京都石清水八幡宮の御分霊を下野仮夷国大内山郷磯坂上朝日ヶ丘に、貞観十七己未歳 (西暦八七五年)九月鎮座した。この時より東北の総社となる。時に小島物部連邦時朝臣大神主を拝し神主一名、禰宜五名と社家十一、下社家二十三、神戸五十五戸、神領五五〇町歩を語る。
天喜四歳乙申八月、頼義奥賊追討の勅を拝し出向の砌り当社に、参宮祈願をなし進発したが、源公の後続車と賊軍が当社場において合戦し、その兵災により御社殿・御神楽殿・神門・御酒殿・御饌殿をはじめ神主、社寺等も全く灰燼に帰した。
源頼義、義家公奥賊安倍一族を平定し帰路奉賽、特に鉄弓三張、鏑矢六本を奉納したという。後伊奈備前守支配領内となるに及び、神社収領の手数を省く意味で五五〇町歩余の神領を上地し直接石高を以って奉献と決まり社の収入はここに大滅するに至った。その後領主の変わる毎に石高は減少し、神社経営は極度に窮迫した。当時薬師寺境内拾余の寺院も閉鎖、院領も没収せられ二、三の寺院を残すのみの大変動があった。その後佐竹右京大夫の支配領となるに及び寛文二年主要殿御本社、御石間再建、翌歳御拝殿、御玉垣の修理本物があって漸く旧御社殿形態の幾分かを備うるに至った。
長い参道では、昭和初期迄流鍋馬神事が行われていたが、今は桜並木として親しまれている。
御利益 出世開運 厄除招福 交通安全 合格祈願 商売繁盛 家内安全 病気平癒 社運隆昌 等
・年中行事
一月一日 歳旦祭 元旦特別祈願祭 二月三日 節分祭 二月十一日 祈年祭 三月十八日 境内社「祖霊社」例祭 四月二十日 別宮天狗山雷電神社春祭 七月第二日曜日~第三日曜日 摂社八坂神社祇園祭 七月三十日 大祓式 十一月二三日 大祭 太々御神楽奉納 十一月十七日別宮天拘山雷電神社秋祭 十一月二十日 新嘗祭
・電話 〇二八五ー四八ー〇一三九
・FAX 〇二八五ー四八ー一〇八二