古今伝授を受けた細川幽斎が隠居のため築いた舞鶴市の田辺城跡

田辺城跡

京都府舞鶴市の田辺城は、本能寺の変後に細川幽斎の隠居城として築城されました。関ケ原の戦いの際には東軍方の細川幽斎が西軍方に攻められて籠城する田辺城の戦いが起きますが、古今伝授の断絶を惜しんだ後陽成天皇の勅旨によって開城されました。以後近世にも田辺藩の拠点として栄え、現在は舞鶴城公園となっています。この舞鶴の地名も田辺城の別名「舞鶴(ぶかく)城」に由来しています。

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田辺城跡へのアクセス方法と駐車場

田辺城は舞鶴市の西の市街地にあり、公共交通機関でのアクセスであれば、JR山陰線舞鶴線の西舞鶴駅から徒歩4分ほどです。
京都交通バスの千日前バス停下車で徒歩3分という方法もあります。
マイカーやレンタカーであれば、舞鶴若狭自動車道の舞鶴西インターチェンジで降りて10分です。
田辺城公園北側に市営駐車場がありますので、ここに駐車します。田辺城資料館を利用するのであれば1時間無料になります。

田辺城資料館

田辺城には田辺城資料館が開設されています。ここは細川幽斎をはじめとする歴代の田辺城主や田辺城290年の歴史と城下町の暮らしをパネルや模型で紹介する施設です。
開館時間は午前9時から午後5時、最終入館は午後4時30分まで、休館日は毎週月曜日、祝日の翌日、年末年始(12月29日~1月3日)となります。

田辺城の御城印

田辺城の御城印は1枚300円で、田辺城資料館で販売しています。したがって田辺城資料館の休館日は購入することはできません。また御城印の郵送もありません。