金色の鳩の飛来伝説をもつ綾部市の高津八幡宮

高津八幡宮

京都府綾部市の高津八幡宮は、陽成天皇の元慶5年(881)、山城国の石清水八幡宮よりここに金色の鳩が飛来して奇瑞を表したことから、石清水八幡宮の如意別宮として社殿を建てて祀ったのがはじまりとされています。江戸時代には綾部藩主の九鬼家が手水鉢の寄進や社殿の造営をしており、市の文化財に指定されています。また、この八幡宮が建つ山には中世に高津八幡山城が築かれ、竪堀や土塁の跡が残されています。

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高津八幡宮のアクセス方法と駐車場

所在地 京都府綾部市高津町宮の段一番地

高津八幡宮への公共交通機関を使ったアクセスですが、JR綾部駅からコミュニティバスの「あやバス」で11分、「高津東」バス停で下車して徒歩で11分、またはJR山陰本線の高津駅から徒歩で13分です。
マイカーやレンタカーの場合は、舞鶴若狭自動車道の綾部インターチェンジまたは福知山インターチェンジからともに10分程度です。
境内の入り口に大きな鳥居があり、その直下の細い坂道をどこまでも進むとつきあたりが高津八幡宮であり、社殿の前が駐車スペースになっています。

高津八幡宮の御由緒

高津八幡宮の御由緒については、社頭に次のとおり案内があります。

高津八幡宮の由緒
社伝によれば、当宮の創建は元慶五年(八八一)、もとは法道仙人の開基した密教の練行地でしたが、男山(京都府八幡市)から当地へ金鳩が飛来してきたことを奇瑞とし、朝廷の命により、石清水八幡宮の別宮として勧請されました。明応九年(一五〇〇)、災禍により社殿、社宝、古文書などを焼失しましたが、翌文亀元年(一五〇一)、勧進状により寄進を受けて再建され、以後、初代福知山藩主の有馬豊氏や、綾部藩主の九鬼氏からの崇敬も厚く、社領や鳥居の寄進、社殿造営の庇護を受けています。明治維新を迎えるまで、極楽寺や究竟院くきょういんと称する別当寺(真言宗)が神社を管理していましたが、明治三年、神仏分離により廃寺を命じられ、当時の住持は僧籍を捨て神官となりました。以来、梵鐘などの仏教色を取り除き、神道を重んじる神社として歴史を歩んでいます。明治期から戦後まで施行された社格制度では、明治六年に村社、大正五年に郷社、大正一二年には府社に列されました。
現在の社殿は、綾部藩九代藩主九鬼隆都の命により改築されたもので、天保一二年(一八四一)より着工し、嘉永五年(一八五二)に竣工しました。棟梁は延村(綾部市延町)の桑原兵右衛門、拝殿向拝彫物は大坂の相野徳兵衛が手掛けており、京都府内でも有数の社寺建築として高く評価され、平成二十八年に京都府指定有形文化財に指定されました。
そのほか、中世の山城跡と一体になった境内や、江戸時代に三十余年かけて造られた表参道の長い石段など、歴史的文化財を多く有しています。