平家の落人狩りの哀れを伝え今は合格祈願で賑わう首切地蔵尊

首切地蔵尊

兵庫県丹波市にある首切地蔵尊は、平家の落人がこの地で亡くなったのを弔ったのが始まりといわれています。この首切地蔵尊に祈ると首から上の願い事が叶えられるといわれ、受験シーズンには近畿一円から合格祈願の参拝者が訪れます。また、毎年3月第3日曜日と9月第4日曜日には大祭が開催されています。

広告

首切地蔵尊のアクセス方法と駐車場

住所 丹波市山南町谷川山田315-1
電話番号 首切地蔵尊保存会(地蔵茶屋)0795-77-2955

首切地蔵尊は丹波市山南町の市道の行き止まりにありますが、ここに行くまでの道路には道案内板などもあります。
交通アクセスは基本的にマイカー、レンタカーやタクシーといった車となりますが、JR福知山線「谷川駅」からであれば約15分、舞鶴若狭自動車道「丹南篠山口インターチェンジ」からであれば20分となります。
首切地蔵尊の入口には無料駐車場があります。

首切地蔵尊の歴史

首切地蔵尊の歴史については案内板に次のようにかかれています。

首切地蔵尊由来

首切地蔵尊は今から約八百年前平安時代の末、平家が最後の砦と頼んだ宇治川の合戦にも敗れ、攻め入る源氏の大軍の前になす術もなく命からがら京都を逃れ、一時神戸福原に拠って再起を計ったがこれも敢えなく一の谷に逃れた。
中でも哀れを止めたのは、平家一門に連なる公卿やその姫様達であった。昨日までの栄華の夢破れ娑婆の無常を感じつつ人目を恐れ、丹波路へと逃れて行った。
其頃、此処丹波東山には城主形瀬近江守の築く鍋倉山城あり、近隣に勇名を馳せていた。
丹波路に迷い込んだ公卿や姫達はしばしの憩いを求めて身を寄せたが、それも束の間、落人狩に捕えられ山田の奥山深く樹木生茂り昼尚暗い首切沢で処刑され敢えなく悲運の最期を遂げた。
伝え聞いた里人達が人の世のはかなさを嘆き哀れみ碑を建て野花をたむけ後生を弔い祭ったのが始まりで 何時からか首切地蔵尊と呼ばれ今に言い伝えられている。

山南町
山南町観光協会