境内に神仏習合の三重塔が建つ仁科の里の若一王子神社

長野県大町市にある「若一王子(にゃくいちおうじ)神社」は鎌倉時代、この地方の領主であった仁科氏が熊野権現那智大社を分社したと伝えられています。
本殿は安土桃山時代の様式を留め、国の重要文化財に指定されています。
また、境内には三重塔(長野県宝)や観音堂があり、神仏習合の影響がうかがえます。
毎年7月第4日曜日には例祭報祝祭が開催され、流鏑馬や稚児行列などでにぎわいます。

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若一王子神社のアクセスと駐車場

若一王子神社は 長野県大町市大町2097にあります。
JR大糸線北大町駅から徒歩で10分ほどです。
マイカーの場合は、長野自動車道「安曇野インターチェンジ」で降りて40分ほどです。
境内入口に無料駐車場があります。

若一王子神社の御由緒と御祭神

若一王子神社の御由緒と御祭神・行事について、境内の案内板には次のように書かれています。

別表神社
重文 若一王子神社

御祭神
伊弉冉尊 仁品王 妹耶姫 若一王子

由緒沿革
北アルプス山麓に広がる大町市に鎮座する本神社は、垂仁天皇の御代にこの地の守りとなった仁品王が伊弉冉尊を奉祀したのにはじまり、後にこの地を治めた仁科氏によって祖先神である仁品王とその后妹耶姫が合祀さ れ、嘉祥二年(八四九)に創建されたと伝えられています。降って鎌倉時代初期に、仁科盛遠宿禰が熊野権現(熊野那智大社)の第五殿に祀る「若一王子」を勧請してより、若一王子の宮と称されるようになりました。
現在の本殿は戦国末期の弘治二年(一五五六)に仁科盛康によって造営され、天正十年 (一五八二)に仁科家が滅びてより、松本城主の崇敬篤く江戸初期の承応三年(一六五四) に水野出羽守源忠職が仁科の里六十六郷をして、宮大工金原周防により社殿の大改修がなされ、地方色豊かな地域の大社としての風格を備え、重要文化財の指定を受けております。
境内には宝永三年(一七〇六)に建立された観音堂(市文化財)と、宝永八年(一七一一)に建立された三重の塔(県宝)が渾然一体となって立ち、神仏習合の姿を当時そのままに残しております。
昭和六年に県社に昇格、昭和五十一年に別表神社に加列され、名実共に仁科の里の大社として歴史と伝統を今に伝えています。

例祭 七月十七日
例祭奉祝祭 七月第四日曜日
 流鏑馬神事(県無形民俗文化財)
 舞台行事