田野口城の麓に建つ戦国武将の菩提を弔う蕃松院

長野県佐久市にある「蕃松院」は、依田康国が父である依田信蕃の菩提を弔うために建立した寺院です。
田口城の麓にあり、境内には依田信蕃の墓碑とされる五輪塔が残ります。

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蕃松院のアクセスと駐車場

蕃松院は、長野県佐久市田口2893にあります。
公共交通機関でアクセスする場合、JR小海線の龍岡城駅から徒歩20分程度です。
マイカーでアクセスする場合、中部横断自動車道の佐久南インターチェンジから15分ほどです。
境内に大きな無料駐車場があります。

蕃松院の由来

蕃松院の由来について、境内の案内板には次のように書かれています。

大梁山蕃松院の由来

当山はご本寺に釈迦牟尼佛(お釈迦様)を戴く曹洞宗で、本山は永平寺(福井)と総持寺(鶴見)である。寺伝によると、かつて西方にあった明法寺は戦火に遭い、現中門の西に移った。
その後、天正八年(一五八〇)儀山沅孝大和尚により整備され、曹洞宗として開山された。
天正十一年(一五八三)、戦国の武将、田口城主依田信蕃は、岩尾城を攻め、弟源八郎と共に没した。その子松平康国、小諸城主となるや父信蕃の追福供養をを念じ、その居館跡に堂宇を再建し、父の御戒名「蕃松院殿節叟良筠大居士」より寺号をとり蕃松院とした。
江戸時代に入り、この地は田野口藩の領下となり、天明六年(一七八六)より歴代藩主のお位牌を安置し菩提寺となった。寛政二年(一七九〇)、落雷のため焼失した。現本堂は文政五年(一八二三) の再建であるが、特に、その規模は県内屈指で、彫刻の多用等江戸時代後期の曹洞宗建築の特色を今に伝えている。
歴代住職は正法の興隆と信徒の安祥を願い護持発展に精励された。 とくに明治初期、第二十一世新井良音大和尚、仁王門の建立等に務め中興の祖と敬慕されている。
寺の裏山には信蕃の墓と伝えられる石塔があり、後方には、古城址が高くそびえる。実に、風光清秀の中に堂宇整然とした佐久の一大古刹である。