湫尾(ぬまお)神社は、茨城県ひたちなか市にある神社で、甲斐武田氏発祥の地とされる武田氏館跡に隣接しています。地元の武田郷の鎮守であり、徳川御三家のひとつの水戸藩主であった徳川光圀も崇敬しています。一時は火事で全焼しましたが、平成30年に再建されました。
湫尾神社へのアクセス方法
住所 茨城県ひたちなか市武田字塙584
湫尾神社は現在では区画整理事業で整備された住宅街のいちばん奥、JR常磐線の線路に近い場所に位置しています。
マイカーでアクセスする場合は、東水戸道路のひたちなかインターチェンジから県道那珂湊那珂線を通り、常磐線をまたいですぐの本町交差点を曲がっておよそ10分ほどの道のりとなります。
公共交通機関の場合は、JR常磐線およびひたちなか海浜鉄道の勝田駅西口を出て、南にまっすぐ20分ほど歩くと到着できます。ひたちなか海浜鉄道の工機前駅からであれば15分ほどです。
甲斐武田氏発祥の地
戦国の名将・武田信玄に代表される甲斐武田氏は有名ですが、もとから甲斐国に定着していたわけではなく、その発祥の地は実はこの常陸国武田郷であるといわれています。
源義家の弟である新羅三郎義光は、後三年の役での活躍めざましく、常陸介に任官して勢力を拡大しますが、三男の義清を常陸国武田郷に配置しており、この義清が地名をとってはじめて「武田氏」を名乗っています。
しかし、武田義清とその子の清光は、勢力拡大の過程で常陸平氏の一族である吉田清幹らに訴えられ、甲斐国市河荘に島流しにされてしまいます。
ここから甲斐国に土着した武田義清らの子孫が、後の甲斐武田氏にあたります。
現在、茨城県ひたちなか市の湫尾神社境内の裏手には、当時の武田氏の居館である武田氏館を再現した建物が建っており、内部を見学することができます。
湫尾神社の御由緒
湫尾神社の御由緒については社頭の案内場に次のとおり書かれています。
湫尾神社誌
鎮座地 ひたちなか市武田字塙五八四番地
御祭神 素盞鳴尊 素盞鳴尊は天照大神の御弟であって勇壮活発にあらせられた。
境内神社 諏訪神社 (建御名方命) 稲荷神社 (倉稲魂命)
祭典 祈年祭 二月十一日 例祭 四月三日 御田植祭 七月の第三日曜日 境内社諏訪祭 八月の第四日曜日 新嘗祭 十一月二十三日(勤労感謝の日)
由緒沿革 慶安元年(一六四八年)九月に再建されたと記録に記されている。武田郷の鎮守として武田大明神と尊称された。 元禄(一六八八年)年中水戸藩主徳川光圀も神鏡を納め崇敬された。社領五斗九升四合明治六年四月一日村社列格。大正二年三月十三日神饑幣帛料供進指定昭和二十七年九月一日宗教法人登記を行った。平成十八年に地域住民の寄付と勤労奉仕により平成の大改修を行った。平成二十五年九月不審火により焼失したが、平成三十年七月再建し竣工奉告祭を執り行い 現在に至る。
施設 流れ造り銅板葺の本殿。入母屋千鳥破風軒唐破風銅板葺の拝殿。
境内 千二百坪
令和元年七月