「天下の奇祭」と名高い裸祭・蘇民祭で知られる黒石寺

黒石寺

岩手県奥州市にある黒石寺は、天平時代に行基が開いたという東北きっての古刹で、岡山県西大寺の「会陽」、大阪府四天王寺の「どやどや」とともに「日本三大裸祭り」のひとつとされる「蘇民祭」で有名です。本尊の木造薬師如来坐像は貞観4年(862)の墨書銘があり、国の重要文化財です。

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黒石寺のアクセス・駐車場などの基本情報

所在地  岩手県奥州市水沢区黒石町山内17
電話番号 0197-26-4168
アクセス JR東北本線水沢駅からバス30分、東北本線水沢江刺駅からタクシー15分程度です。マイカーの場合は東北自動車道水沢インターチェンジから25分、平泉前沢インターチェンジから20分程度です。境内の前に駐車場が整備されており、休憩所として東光庵やトイレもあります。ただし、水沢駅から黒石寺を経て正法寺に至る路線バスはかなり便数が少なく、1日2便程度ですので、公共交通機関であればタクシーを使うほうが無難です。「蘇民祭」のときは通常の駐車場ではなく、黒石寺向の臨時駐車場が開放されます。

蘇民祭への参加について

黒石寺の「蘇民祭」は、毎年旧正月7日夜半から8日早暁にかけて行われる裸祭りであり、開催日は新暦になおすと1月後半から2月後半まで年によってまちまちです。たとえば、平成31年の蘇民祭は2月11日(月・祝)開催ですが、令和2年の蘇民祭は1月31日(金)22:00から開催となります。
蘇民祭は一時ポスターで話題となったことがありますが、昔から行われている厳粛な裸祭りで、災厄消除と五穀豊穣を祈願し、下帯姿の参加者が蘇民袋を争奪するというものです。
蘇民祭の蘇民袋争奪戦への参加は実は誰でも自由で、当日午前0時から祭り案内所にて参加を受け付けています。ただし、争奪戦参加者は下帯と足袋を各自準備し、必ず着用することが求められます。境内には自由に使える脱衣所が用意され、臨時観光案内所でも下帯などの販売は行われています。
見学はもちろん自由にでき、水沢江刺駅・水沢駅からの臨時シャトルバス運行や本尊薬師如来像・慈覚大師像の特別拝観などもあわせて行われますが、厳寒期のため服装には注意したほうがよいでしよう。

黒石寺の御朱印や拝観情報

堂内の仏像などを拝観する場合は、事前に連絡するとご住職が対応してくれます。逆に通常は不在で本堂は閉まっています。また、御朱印のほうも書き置きは常に用意されていますが、直接ご朱印帳などに記帳する場合は、同様に電話で予約をしておきます。
拝観時間 午前9時~16時(不定休)
拝観料金 大人(高校生以上)一人300円
連絡先  0197-26-4168

黒石寺の歴史と蘇民祭の内容

黒石寺の案内板に次のとおり記載があります。

黒石寺
黒石寺は、寺伝によれば天平元年(七二九)行基菩薩の開基で、東光山薬師寺と称したが、嘉祥二年(八四八)慈覚大師が興し、妙見山黒石寺と名を改めた天台宗の古刹である。
本尊薬師如来像はカツラの一木造りで胎内に貞観四年(八六二)の造像銘がある。
永承二年(一〇四七)銘の僧形坐像(伝慈覚大師像)、四天王立像とともに国の重要文化財に指定されている。
盛時、伽藍四十八宇を数えた黒石寺は、数度の火災によりその一切を失い、現在の薬師堂は明治十七年(一八八四)に再建されたものである。
旧正月七日夜から八日早晩にかけて行われる蘇民祭は古代の蘇民信仰の姿を今に伝える貴重な民族的遺産である。

黒石寺蘇民祭
「裸の男と炎のまつり」で知られる黒石寺蘇民祭は、旧暦正月7日の夜から翌朝にかけて古式にならい行われており、祭礼日に至るまでの事も昔のままという、全国的にも原形を失っていない祭りとして注目されている。
災厄を払い五穀豊穣を願う民衆の予祝行事蘇民祭は、裸の男たちとそれに続く祈願者などによる「裸参り」で始まる。夜半にかかり「柴燈木登」「別当登」、鬼面を逆さに背負った「鬼子登」と続き、早晩まで繰り広げられる裸の男たちによる「蘇民袋争奪戦」で祭りはクライマックスを迎える。この争奪戦で最後まで麻袋を手にしていた者の地方の五穀豊穣が約束されるといわれている。

蘇民祭行事の内容
裸参り(夏参り又は祈願祭)
厄年連中、一般祈願者、善男善女が角燈をもち瑠璃壺川(山内川)で身を浄め、「ジャッソー・ジョヤサ」の掛声で、薬師堂、妙見堂を巡り、五穀豊穣、災厄消除の祈願を行う。柴燈木登(ひたきのぼり)
本堂前に生松割木を井桁積にふた通り積み上げる。若者達は裸になり柴燈木の上に登って火の粉をあびながら山内節をうたい気勢を上げる。
別当登(ベっとうのぼり)
別当(住職)並びに蘇民袋を捧げもった総代が守護役に前後を守られ、ホラ貝、太鼓等を従えて進んでくる。薬師堂に登ると護摩をたいて厄払いと五穀豊穣を加持祈藤する。
鬼子登(おにごのぼり)
内子のものは、素裸で水垢離をとり身を浄める。鬼子は7才の男子2名で、麻衣をつけ鬼面を逆さに背負い丈夫な人におぶさり薬師堂に登る。
蘇民後争奪戦
将軍木(かつのき)で作った小間木(護符)を入れた麻袋を浮囚長(首領)の首に見たてて、裸の若者が奪いあいをする。小間木や麻袋の切りさかれたものを持っている者は、災厄をまぬがれると言われている。