北陸道総鎮守といわれ木製の大鳥居が出迎える気比神宮

「氣比神宮」は、福井県敦賀市に鎮座する越前国一宮で、北陸道総鎮守として崇敬されてきました。
国道8号に面して建つ木製大鳥居は、高さ約11メートルもあり、国の重要文化財に指定されているもので、春日大社・厳島神社とあわせて「日本三大鳥居」の一つに数えられます。

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気比神宮の御祭神や御利益

気比神宮の御祭神は、伊奢沙別命(いざさわけのみこと)(気比大神)はじめ7柱の神々となっています。
主祭神である伊奢沙別命は、この若狭の国の開拓神といわれます。御食津大神(みけつおおかみ)ともいい、食物を司るほか、海上交通や衣食住全般の守護神として崇められます。また神功皇后は安産の神としてのご利益で知られます。

気比神宮の場所とアクセス・駐車場

気比神宮の所在地は、福井県敦賀市曙町11-68です・

北陸自動車道「敦賀インターチェンジ」から車で約10分、公共交通機関を使う場合は、JR北陸本線「敦賀駅」から徒歩で15分、又はバスに約5分乗車して「気比神宮前」バス停で下車します。

駐車場は国道8号沿いと神社東側の小学校隣接地にあり、ともに無料で利用できます。

気比神宮の御由緒

気比神宮のご郵書については、次のとおり境内に案内板が掲げられています。

北陸道総鎮守 越前國一之宮
氣比神宮

祭神七座

伊奢沙別命(気比大神)・帯仲津彦命(仲哀天皇)
息長帯姫命(神功皇后)・日本武命・誉田別命(神武天皇)
玉姫命・武内宿禰命

沿革

主祭神気比大神は神代から此の地に鎮り給うた大宝二年(七〇二)勅に依り社殿の修営を行い仲哀天皇神功皇后を合祀した。日本武命をはじめ四柱神を別殿(四社の宮)に奉斎した。延喜式に「祭神七座並名神大社」 とあり類聚三代格には「神階正一位勲一等」と記され ており此の七柱の神は一座ごとに官幣(大社)の奉幣にあずかっている。歴代の皇室をはじめ衆庶の尊崇きわめて篤き所以である。明治二十八年官幣大社に昇格し神宮号宣下の御沙汰を賜って氣比神宮と称した。之単に北門の鎮護たるのみならず日本有数の古名大社として通称「氣比さん」の名で親しまれ全国に幅広い信仰を集め九月二日より十五日におよぶ例祭は「氣比の長まつり」としてその名を留めている。上方より歴朝の奉幣は実に枚挙に遑なく行幸啓も極めて多く戦後では昭和四十三年畏くも天皇皇后両陛下御親拝・昭和六十二年五月昭和の大造営に依る本殿遷座祭・平成十四年御祭神合祀壱千参百年式年大祭にあたり、幣帛料の御奉納を賜り厳粛なる奉幣祭が営まれた。戦後の都市計画で境内は大幅に削減されたが、由緒ある摂末社十五の中、当地敦賀の地名の発祥である式内摂社角鹿神社がある。

気比神宮と神仏習合

我が国では古来の信仰である神道と外来の仏教との融合、いわゆる神仏習合が奈良時代以降盛んとなりました。
氣比神宮は文献から追うことのできる最古の事例とみられ、藤原氏の『藤氏家伝』によれば、霊亀元年(715年)に神宮寺が建立されたといいます。

この書物には「吾れ宿業に因りて神と為ること固より久し、今仏道に帰依して福業を修行せんと欲す」とあって、藤原武智麻呂の夢に現れた気比神が「宿業によって神となってしまったので仏門に帰依したい」と告げたので神宮寺を建立したという伝説が書かれています。