将軍家に献上する鮎鮓を運んだ鮎鮨街道笠松問屋跡

鮎鮨街道笠松問屋跡とは、江戸時代に将軍家に献上する鮎鮓(鮎鮨)を運んだ街道と、荷物の継立てを行っていた笠松問屋・高嶋家です。
当時、岐阜の長良川てとれた鮎は御鮨所で塩漬けにされて鮎鮨に加工され、岐阜城下から笠松を経て一宮へと送られていました。

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鮎鮨街道笠松問屋跡のアクセス方法

鮎鮨街道笠松問屋跡は、岐阜県羽島郡笠松町下新町にあります。
名鉄竹鼻線西笠松駅から東へ歩いて5分です。

鮎鮨街道笠松問屋跡の解説

鮎鮨街道笠松問屋跡については、現地に次のとおり案内板が建てられています。

鮎鮓街道・笠松問屋跡

慶長八年(一六〇三年)、将軍徳川家康、秀忠に鮎鮓を献上。元和元年(一六一五年)からは毎年六月から九月まで、月六回、鮎鮓を江戸城へ届けた。岐阜町のお鮓元から、加納問屋を経て、ここ笠松問屋で受けつぎ、一宮問屋へ送られた。笠松からは、主に笠松の農民が一回一四人で、運ぶ仕事をしていた。境川が洪水の時は、徳田村の方の堤を通った。

碑にきざまれている歌―
鮎鮓の 桶かつぎ 受けわたし 人びとは 江戸への道を ひたに走りき