笠松陣屋・県庁跡|全国4例しかない江戸時代の郡代の役所跡

笠松陣屋

笠松陣屋・県庁跡は、江戸時代に美濃郡代の役所が置かれた陣屋の跡で、明治時代初期にはその建物が引き続き笠松県庁として利用されました。
明治4年の廃藩置県によって大規模な県の統合が行われて岐阜県が成立しますが、その際の最初に県庁が置かれたのもこの場所でした。
現在は当時の建物はなく、跡地は空き地として残され記念碑が建っています。

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江戸時代の郡代

江戸時代には全国各地の幕府直轄領(天領)に代官が置かれて現地の内政などにあたっていました。

うち10万石以上の幕府直轄領には郡代が置かれましたが、全国に4つだけであり、役所にあたる陣屋の場所は次のとおりとなっていました。

  • 関東郡代は現在の埼玉県北足立郡伊奈町(時期により違いがあります)
  • 美濃郡代は笠松町
  • 西国郡代は大分県日田市
  • 飛騨郡代は岐阜県高山市

笠松陣屋の設置の経過

江戸初期の慶安3年(1650)、枝広洪水からの復興にあたった代官・岡田将監は当時「笠町」とよばれていた現在の岐阜県羽島郡笠松町に臨時の役所を置きました。

そして寛文2年(1662)、美濃代官となった名取半左衛門が、「笠町」の地名を「笠松村」に改め、美濃国内の幕領支配の拠点として美濃代官の陣屋を置いたのが直接のはじまりです。

笠松陣屋は幕領からの年貢徴収や吟味(裁判)を行う「地方役所」、河川治水土木工事の監督を行う「堤方役所」のふたつに分かれていました。

美濃代官は後に美濃郡代に格上げとなり、明治時代を迎えます。

現地の案内板には次のとおり書かれています。

笠松陣屋・県庁の跡

笠松郡代名取半左衛門長知が、江戸時代初めの寛文二年(一六六二) に「笠町」を「笠松村」と改め、この地に置きました。
陣屋は笠松県庁になるまでの約二百年間、美濃国内の支配と治水を行う役所として天下に重き位置をしめていました。
慶応四年(一八六八)一月、笠松陣屋は朝廷の命を受けた竹沢寛三郎が天朝御用所と改め、同年四月、笠松裁判所となりました。さらに同月、笠松県の県庁となり県知事には長谷部恕連が任命されました。明治四年(一八七一)、笠松は岐阜県庁誕生の地となり、岐阜町に移るまで県政の中心になっていました。
ここに、笠松町制百年を記念して、 永く後世に保存しようとするものです。

平成元年三月 笠松町

笠松陣屋・県庁跡のアクセス

笠松陣屋・県庁跡は岐阜県羽島郡笠松町県町にあります。

笠松陣屋・県庁跡に公共交通機関でアクセスする場合、名鉄竹鼻線西東笠松駅で降りて徒歩5分です。

マイカー・レンタカーであれば東海北陸自動車道の一宮木曽川ICで降りて5分です。

現地に駐車場はありませんが、旧陣屋・県庁跡の真南徒歩10分ほどの木曽川沿いに笠松みなと公園駐車場があり、無料で駐車可能です。