縁結びのご利益でも知られる枝垂れ桜の名所・伊豆山神社

伊豆山神社

熱海市の伊豆山神社は源頼朝と北条政子の密会の場になったことから、同じ市内の来宮神社とともに縁結びの神社として人気があります。境内は海を一望できる高台にあり、本宮へのハイキングコースも整備されています。春には境内のしだれ桜が満開になります。

広告

伊豆山神社へのアクセス・駐車場

住所:静岡県熱海市伊豆山708-1

伊豆山神社へはJR東海道本線「熱海駅」から4番線の七尾原循環バスに乗って約10分、「伊豆山神社前」バス停で下車します。マイカーの場合は、西湘バイパス早川インターチェンジから国道135号経由で約20分ほどです。国道沿いの伊豆山交番の角から境内に至る道路はかなり傾斜がきつい坂道ですが、駐車場は石段の下と、さらに道路を登って拝殿の脇のあわせて2箇所あり、30台ほどが無料で駐車できます。

伊豆山神社とハイキングコース

伊豆山神社には。本殿の右手の奥のほうにハイキングコースの入口があります。この本殿から本宮社へ至る道程ですが、遥拝所、白山神社、結明神本社を経て約1時間ほどの山道となります。また本殿から下も800段ほどの石段があり、その下には湯の神様である走湯神社が祀られています。

伊豆山神社のしだれ桜の見頃

伊豆山神社の境内には大島桜やソメイヨシノ、一重と八重の枝垂れ桜がおよそ70本ほど植えられており、伊豆熱海の桜の名所として知られています。しだれ桜の見頃は例年3月下旬から4月上旬のころです。

伊豆山神社の例大祭

伊豆山神社の例大祭は、毎年4月14日から16日にかけて開催されています。14日は宵宮祭が夜20:00から、15日の例大祭は10:00からはじまり、そのうち神幸祭は13:00から、16日は正殿祭が10:00からの予定です。特に15日の神幸祭では、山頂から800段以上の参道の石段を4基の神輿が渡御し、下宮まで下るという勇壮なシーンが見どころです。

伊豆山神社の御朱印

伊豆山神社の御朱印は、境内の拝殿の下にある社務所にて、初穂料300円でいただくことができます。また「強運」「関八州総鎮護」の文字が記された、伝説の「赤白二龍」(せきびゃくにりゅう)をデザインしたオリジナルの御朱印帳も初穂料1,500円で頒布れさています。社務所は9:00から16:00まで開いています。

赤白二竜:神社の由来を記した「走湯山縁起」にあり、頭が伊豆山、しっぽが芦ノ湖にあたる、地下に眠る二匹の巨大な竜といい、伊豆の温泉は龍の眼や耳、鼻、口に湧いているといいます。また、赤白は雌雄をあらわし、夫婦和合の象徴でもあります。

伊豆山神社の歴史

社頭の案内板に伊豆山神社の歴史が書かれています。

むかしの伊豆山神社のお話

■源頼朝と伊豆山権現(伊豆山神社)
永歴元年(1160年)より治承四年(1180年)の二十年間、平家の手により伊豆国に配流の身になっていた源頼朝は、源家再興を伊豆権現に祈願しました。
その後、願いを果たし鎌倉幕府を開き征夷大将軍となった頼朝は伊豆権現を崇敬し箱根権現とともに二所と称えて幕府最高の崇敬社である関東鎮護として大きな権威を与えました。鎌倉・室町時代には、広大な神領を有して経済的に豊かであった伊豆権現は当時の僧侶や修験者が大勢集まり、最盛期には六十四棟もの僧坊・修験坊があり、三千八百名の僧兵が滞在し伊豆権現を守っていたと伝えられています。

■豊後秀吉の小田原攻めと伊豆山権現全山焼き討ち
戦国時代末期、焼き討ちといえば織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ちが有名ですが、伊豆権現も天正十八年(1590年)豊臣秀吉による小田原攻めの際、小田原の北条氏に味方したために豊臣秀吉の焼き討ちに合い、大勢の僧兵が命を落とすと共に伊豆山全山が三日三晩燃え続けたといわれています。

■徳川家康と伊豆権現の復興
焼き討ちにあった伊豆権現を徳川家康は、文禄三年(1594年)から慶長十七年(1612年)にかけて、高野山の僧快運を招き入れ伊豆山別当職に任命し、般若院の院号を与え復興にあたらせました。
これにより江戸時代の伊豆山は、十二の僧坊と七つの修験坊を有するなど繁栄を取り戻すことができました。
また復興により走湯山般若院は、真言宗伊豆派(当時)の聖地として関東一円に大きな勢力を誇っていたと伝えられています。

伊豆山をおもしろくする実行委員会