結城秀康開基の寺院で与謝蕪村の襖絵もある弘経寺

弘経寺

茨城県結城市にある弘経寺は、徳川家康の次男で結城家に養子に入った結城秀康の開基になる寺院です。与謝蕪村が結城滞在の拠点に選んだ寺院でもあり、幽玄な襖絵が残されています。境内の建物の多くが江戸時代のもので見どころも多い観光スポットです。

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弘経寺へのアクセス方法と駐車場

所在地 結城市結城1591
電話番号 0296-33-2039

弘経寺は結城市の市街地にあり、道路が入り組んでいるためややわかりにくいのですが、現地には道路案内の看板が要所要所に立っています。マイカーの場合は、弘経寺境内に隣接する明照保育園を目印にするるのがよいでしょう。
北関東自動車道の桜川筑西インターチェンジからは国道50号を通って弘経寺までおよそ30分ほどです。
境内には正面からではなく、明照保育園のある東門側から入ると、奥に駐車場があります。ちょうど煙突があるレンガ造りの酒蔵の結城酒造の建物の真後ろに駐車場が位置しています。駐車料金は無料です。

徒歩の場合は、JR水戸線の結城駅から北に歩いて15分ほど、本町の交差点の近くになります。

弘経寺の御朱印

弘経寺は東門から入ると駐車場のちょうど向かいに事務所がありますので、インターホンを鳴らして申し出れば、本尊阿弥陀如来の名号が入った御朱印がいただけます。住職不在の場合は書き置きになります。正面の山門から入ると事務所の位置は右手にあたります。平素はあまり参拝客で混雑することはありませんので、それほど待つ必要もないでしょう。

弘経寺の由緒

弘経寺の歴史や由緒について、境内の案内板には次の通り書かれています。

弘経寺
寿亀山弘経寺は、浄土宗の名刹で桃山時代の文禄四年(一五九五)結城家十八代の城主秀康(徳川家康の子)がその息女松姫追善供養のため飯沼(水海道市) の弘経寺の住職檀誉上人を招いて建立したと伝えられ、のち浄土宗の学問所関東十八檀林の一つに数えられ、広くその名を知られました。
寺には、江戸時代の俳人、与謝蕪村が滞在中画いたすぐれた「襖絵」や室町時代作の「当麻曼陀羅」があり、ともに茨城県文化財に指定されています。
また市指定文化財となっている史跡「砂岡雁宕の墓」があります。
なお、境内には蕪村の句碑「肌寒し己が毛を噛む木葉経」がある。
結城市教育委員会