生きながら観音浄土を目指す壮絶な補陀落渡海の出発地・補陀洛山寺

補陀洛山寺

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の補陀洛山寺は、仁徳天皇の時代にインドから来た裸形上人が開いたと伝えられる寺院です。かつてこの寺の住職は釘打ちされて外に出られないようにした小舟で熊野灘に流され、生きながらにして観音浄土を目指す捨身行をしたといわれ、「補陀落渡海」という名が残されています。井上靖の小説『補陀落渡海記』では、補陀落渡海に出た金光坊という僧侶が、命が惜しくなって船から脱出したものの、人々に見咎められてまた海に投げ出された悲劇の伝説を題材としています。

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補陀洛山寺のアクセス方法と駐車場

補陀洛山寺は補陀落渡海の出発地ですので、熊野灘のごく近くにあります。
公共交通機関でアクセスする場合には、JR紀勢本線の那智駅から徒歩3分ほどです。
マイカーやレンタカーでのアクセスは、那智勝浦新宮道路の那智勝浦インターチェンジから2分ほどですが、補陀洛山寺の裏手にある境内の駐車場のほか、周囲の公園または道の駅なちの駐車場が使えます。

補陀洛山寺の御朱印

補陀洛山寺では御朱印をいただくことができます。
営業時間の午前8時半から午後4時までの間であれば、本堂が開いていますので、中にはいって御朱印を希望する旨を伝えます。
志納金は300円で、墨書きの部分は「円通殿」と御詠歌を記したものの2種類があるようです。

補陀洛山寺の由緒

補陀洛山寺の境内に由来を記した案内が次の通りあります。周辺の熊野三所大神社とあわせて渡海船の模型や渡海上人の墓などを訪れるのもよいでしょう。

補陀洛山寺の御案内
宗派 比叡山延暦寺を総本山とする天台宗山門派
当寺の沿革 補陀洛渡海で全国に知られる当寺は、仁徳帝(三一三ー三九九) の御代に印度より渡来の裸形上人により開かれたと伝えられ、 那智本願の一寺として隆盛をきわめた。
御本尊 三貌十一面千手千眼観世音菩薩は、平安後期の作と伝えられ、 御丈一メートル九〇センチの立像で、国の重要文化財の指定を受けている。
補陀洛渡海 那智の浜から生きたまま船に乗せ、観音の浄土、すなわち補陀洛山に往生しようとする宗教儀礼で、当寺から多くの行者が渡海した。
渡海上人の墓、二位尼・平時子、三位中將・平維盛の供養塔が裏山に現存している。
年中行事 一月二七日 立春大護摩供星祭 五月十七日 春まつり 七月十日 土用護摩供、先祖供養