震災のとき避難所に足りなかったもの

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2011年3月の東日本大震災は、死者1万5千人以上という未曾有の自然災害でしたが、各自治体では公民館や体育館などを避難所に充てて避難民を収容していました。もちろん地域防災計画などの事前準備もあって、避難生活に必要なある程度の防災用品や設備はそろっていたのですが、それでも不足するものはたくさんありました。
東日本大震災からはかなりの年月が経過しましたが、これからも万が一の自然災害に備えて、自分でできることは自分で備えておくことが大切です。

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避難所には何があったのか

避難所とはいっても自治体によって異なりますし、施設の規模・面積や、収容を見込んでいる人数によってもさまざまな違いがあります。避難所とされていた建物自体が被災することもありますので、一律に考えられないのは当然といえます。
そこであくまでも私が当時いた避難所の事例に限っていいますと、地元の公民館を転用した避難所には、おおむね次のようなものが用意されていました。

もともと公民館にあった設備

防災用無線機 カセットコンロ 小型発電機(と携行缶に入ったガソリン) ポット・やかん・湯呑みなどの什器 トイレ

避難所開設とともに持ち込まれた備品や配布された消耗品など

簡易トイレ(ダンボールを組み立てるもの) 飲料水 菓子パン アルファ化米 乾パン

食料はあった、だが食べにくい

役所を出発して各避難所を巡回しているトラックが食料を届けてくれました。最初はアルファ化米や乾パン、飲料水(ペットボトルのミネラルウォーター)といった、あらかじめ役所の防災倉庫に備蓄されていたものが避難民には配布されました。次いで大手コンビニやスーパーマーケットなど、自治体と協定を締結している民間の店舗から、ある程度日持ちする菓子パンなどが届くようになりました。

今ではアルファ化米のパッケージにも五目御飯・赤飯などの種類が出ているようで、味としてはそれほど問題はなかったのですが、パッケージを開封して水(ミネラルウォーター)を注ぎ、1時間ほどそのまま待たなければならないなど、食べられるようになるまでにかなりの時間がかかったことは事実です。
実はお湯を使えば20分ほどに待ち時間が短縮されるのですが、停電のため電気が使えず、水そのものも限られているという状況のなかでは、お湯はある種の貴重品になっていて、アルファ化米に回すことはできない事情がありました。

アルファ化米や乾パンが尽きた後の菓子パンは、そのまま食べられるという意味ではありがたかったのですが、むやみに甘いので食べると胸焼けを起こしそうで、それほど食が進みませんでした。それに加えて、歯磨きをしようにも歯ブラシがなかったため、甘いものを食べた後では長らく口の中の不快感が残ったというのも記しておきたいと思います。

情報源は限られ、携帯電話のバッテリーも不足

公民館にあった防災無線は、一応のマニュアルはあるものの使い方を習熟している人はおらず、ほとんど使い物にならなかったといってもいいでしょう。停電でテレビが映らない状況下では、電池式のラジオや携帯電話、現在ほどには普及していなかったもののスマートフォンなどといったものが、外の情報を知るための拠り所となりました。

携帯電話やスマートフォンは特に文字や映像・音声をともなっていたので便利でしたが、ひとつ問題になったのがバッテリー切れです。充電をしようにも公民館のコンセントの電源は使えないため、電池式の充電器があればよかったのですが、公民館の防災用品のなかにはバッテリーは含まれていませんでした。

このためバッテリー切れとともに携帯電話やスマートフォンは無用の長物となり、正確な情報を得るための手段はますます限られるようになりましたので、個人の自己防衛策として、電池式の充電器や携帯ラジオなどを日頃から用意しておくことは不可欠と感じました。

生理用品や粉ミルクが足りない

女性にとっては重要な課題ですが、役所の防災担当の職員には男性が多いということもあって、細かな部分で配慮が足りないのではないかと思われることも多々ありました。

たとえば生理用品は避難民に女性がいればかならず必要なものですが、それは特に防災用品としては含まれていないようでした。

粉ミルクは避難所に配布されなかったわけではありませんが、市販の製品であれば1歳未満、1歳以上3歳までなどといった、年齢別でいくつかの種類に分かれていることが多いはずですが、1種類しかなかったためにとまどいがあったようです。
また、粉ミルクを利用するのにもお湯が必要となりますが、その供給も十分とはいえず、カセットコンロでそのつどお湯を沸かすことがありました。

発電機のガソリンを自動車に転用

公民館の公用車は災害対策本部との連絡や防災用品の運搬のために使われましたが、実はこのときに訪れた最大のピンチがガソリン切れです。ガス欠になればもちろん車は動きませんが、震災から数日はガソリンスタンドもほとんど営業していないか、ガソリン入れるのに長蛇の列となり、4時間待ちなどといったことも珍しくはありませんでした。
ここで役立ったのが公民館のイベント用に配備されていた小型発電機と付属していた携行缶に入ったガソリンで、小型発電機は夜間避難所内を照らすサーチライトの動力源として使われましたし、残りの小型発電機用のガソリンは公用車の燃料として転用され、ガス欠の回避につながりました。

これはうまく転用ができた例ですが、もしも小型発電機やガソリンがなければ目的を果たすことはできなかったはずで、その意味でも日頃の備えの大切さを痛感させられました。