東北屈指の珍スポット・キリストの墓

キリストの墓

「キリストの墓」といえばエルサレムの聖墳墓教会が知られますが、青森県新郷村にもなぜか「キリストの墓」を名乗る遺跡があります。古史古伝のひとつ『竹内文書』の記載をもとに竹内巨麿が戦前に見つけたもので、ゴルゴタの丘で磔刑になったのは身代わりの弟イスキリであり、イエス・キリストは日本に渡来していたという主張です。近くに「キリストの里伝承館」や「大石神ピラミッド」もあります。

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キリストの墓へのアクセス・駐車場

キリストの墓は青森県三戸郡新郷村大字戸来、竹内巨麿がいた時代の戸来村にあたります。公共交通機関を使うのであれば、JR八戸駅から南部バスの五戸行きで40分、終点の五戸駅前バス停で下車し、この五戸駅前バス停から金ケ沢線に乗り換えて、終点の金ケ沢バス停で下車、ここから新郷村営バスみずばしょう号でキリスト公園バス停まで向かいます。いずれにしても乗り換えが多いので、マイカーがあればそちらのほうが便利です。八戸自動車道八戸インターチェンジから国道454号を十和田湖方面に30分ほど進めば、国道沿いに「キリストの墓」の看板があります。現地の駐車場は30台ほどの収容台数があり無料です。

キリストの墓の由緒

キリストの墓に建てられた案内板には次のとおり由来が書かれています。

キリストの墓
イエスキリストは二十一才のとき日本に渡り十二年間の間神学について修業を重ね三十三才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、難辛苦の旅をつづけて、再び日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、百六才長寿を以って、この地に没しました。この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代墓に弟イスキリを祀っております。以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。

Christ’s Grave
When Jesus Christ was 21 years old, he came to Japan and pursued knowledge of divinity for 12 years. He went back to Judea at age 33, and engaged in his mission. However, at that time, people in Judea would not accept Christ’s preaching. Instead, they arrested him and tried to crucify him on a cross. His younger brother, Isukiri casually took christ’s place and ended his life on the cross.
Christ, who escaped the crucifixion, went through the ups and downs of travel, and again came to Japan. He settled right here in what is now called Herai Village, and died at the age of 106.
On this holy ground, there is dedicated a burial mound on the right to deify Christ, and a grave on the left to deify Isukiri.
The above description was given in a testament by Jesus Christ.

キリストの墓
昭和10年、茨城県の磯原市(現北茨城市)から訪れた武内巨麿氏により、武内家の古文書をもとに発見されました。
古文書によると、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。向かって右側がキリストの墓十来塚、向かって左側が弟イスキリの墓十代墓と言われており、毎年キリスト祭では慰霊祭が行なわれ、ナニャドヤラの唄と踊りが奉納されます。
新郷村