創建当時から位置が変わらず多くの仏像を安置する周防国分寺

周防国分寺

周防国分寺は山口県防府市にあり、天平年間に聖武天皇の詔によって創建されたものです。火災で伽藍が焼失後、室町時代に大内盛見(おおうちもりはる)が金堂を再建しています。現在の金堂は、安永8年(1779年)の再建で、国重要文化財に指定されています。創建当初から千年以上も同じ場所に建てられていることが平成の発掘調査でも明らかになっており、全国的にも珍しい例として知られます。

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周防国分寺のアクセス方法と駐車場

所在地:山口県防府市国分寺町2-67
電話番号:0835-22-0996

周防国分寺は防府市の市街地の北側の丘陵地帯の麓に位置しています。JR山陽本線の防府駅から歩いてアクセスするのであれば、距離にして約2キロ、所要時間は25分ほどとなります。バスの場合、防府駅てんじんぐち(北口)から防長バス阿弥陀寺行きに乗り、国分寺バス停で下車して徒歩5分です。

マイカーやレンタカーでアクセスする場合、山陽自動車道の防府東インターチェンジ、または防府西インターチェンジから車で20分ほどです。入り口付近の道路は狭いので運転に注意ですが、仁王門の左手のほうに無料駐車場があります。

周防国分寺の拝観料や営業時間

周防国分寺の拝観時間は9時から16時まで、休業日は月曜日、ただし月曜日が祝祭日の場合は、次の日が休みです。拝観料は大人500円、中学生以下300円で、団体は20名以上で大人400円、中学生以下250円となっています。国重要文化財の本尊の薬師如来像は室町時代の作で、手に持った薬壺のなかには五穀・丁子・菖蒲根・朝鮮人参など15種類の薬と、五輪塔が収めてあったといいます。ほかにもさまざまな仏像が安置されていて圧巻です。

これらはあくまでも金堂の内部で仏像などを拝観する場合ですので、境内を散策するだけで内部拝観まではしないのであれば無料です。

周防国分寺の歴史・由緒

周防国分寺の由緒について、現地案内板に次のとおり記載されています。

周防国分寺

周防国分寺は、多数の文化財を保存した極めて歴史的価値の高い古刹である。北に多々良山を負い、南には防府市街をとおして三田尻湾を望む景勝の地にそびえ立つ大伽藍は、創建当初の地にあり、国分寺の堂塔の偉容をあらわしている。
当時は、金光明四天王護国之寺又は金光明寺など、いろいろな寺号があったが、後に浄瑠璃山国分寺と称せられるようになった。奈良時代の 天平十三年(七四一)聖武天皇の勅願によって、国家の鎮護と国民の景福を祈願するために国ごとに建立された由緒ある官寺の一つである。
本寺が創建された奈良時代は、わが国律令政治の栄えた時で、国分寺は宗教によって国家を統治する勅願所で、皇室との因縁が特別に深く、 住昔の規模が壮大であったことは、その寺域の面積が六十一町歩余りにまたがり、七堂伽羅と二十五ヶ寺の塔頭と末寺を擁していたことでもうかがえる。
後世、寺領の減少や維新後の寺院制度の変革等により、その規模は縮小され、現在では往時の遺構遺跡と建造物の一部を残すのみになったが、今なお仁王門をくぐると荘重な大金堂がある。ここには多数の国宝的仏像が安置されており、他の歴史的文化財と共に宗教上、学術上の一大宝庫をなしており、旧態を現存することにおいては、全国国分寺中極めて稀である。本尊は創建当初丈六の釈迦如来であったが、奈良時代の終わり頃から平安初期には薬師如来に替わっている。
寺格は現在高野山真言宗に属する別格本山である。
本寺がこうして旧格を維持し、歴史の各時代にまたがる豊富な霊仏至宝を保存してきたことは、実に聖武天皇の聖徳と歴代天皇の信仰の賜であり、また周防国府の力や大内氏、毛利氏の歴代国主の崇仏保護が 非常に厚かったからである。
多数ある寺宝の中で後奈良天皇宸筆般若心経及び金堂、並びに堂内の薬師如来、日光・月光菩薩立像、四天王立像及び持仏堂内の阿弥陀如来坐像など、八躯が国の重要文化財に指定され、国分寺旧境内は史跡に指定されている。