丹南藩主の墓もある融通念仏宗の来迎寺

来迎寺

来迎寺とは、大阪府松原市にある融通念仏宗の寺院です。
奈良時代に行基が創建し、平安時代末期に融通念仏宗を開いた良忍ゆかりの寺院として知られます。
江戸時代には丹南藩の陣屋が置かれ、藩主高木家の菩提寺として初代藩主らを供養する五輪塔が残ります。
この場所は江戸時代の丹南藩で起きた百姓一揆「郷中騒動」の舞台にもなっています。

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来迎寺のアクセス方法と駐車場

来迎寺は、大阪府松原市丹南3丁目1−22にあります。
公共交通機関でアクセスする場合、近鉄南大阪線「河内松原駅」から近鉄バス乗車、「岡」バス停で下車して徒歩3分です。
マイカーやレンタカーの場合は、南阪奈道路「美原インター」で降りて5分です。
駐車場は府道2号大阪中央環状線沿いにありますが、閉鎖されている場合は境内南側に回ると、山門の前に駐車できるスペースがあります。

来迎寺の歴史

来迎寺とこれに隣接する丹南陣屋の歴史について、境内の案内板には次の通り書かれています。

来迎寺と高木氏・丹南藩陣屋(らいこうじとたかぎし・たんなんはんじんや)

丹南の来迎寺はもともと、奈良時代に行基が建て、毘沙門院と号した。のち、平安時代末期の天承元年(1131)に融通念仏宗の開祖である良忍が、阿弥陀如来を安置する堂を建て、融通念仏十ヶ郷辻本大勧進毘沙門山阿弥陀寺と称したという。
融通念仏は一時的に衰退したが、鎌倉時代末期に大念仏寺(大阪市平野区)7世となった法明は、宗勢の復興に努めた。法明は、良忍の聖跡と伝える阿弥陀寺が荒れていたので、菅生神社(河内国丹南郡、現堺市美原区菅生)より感得した阿弥陀如来画像を勧請して、同寺を中興した。正中元年(1324) には、寺号を阿弥陀寺から河内十箇郷六本別寺諸仏山護念院来迎寺と改めた。
来迎寺は、江戸時代に入って、法明由緒寺院として融通念仏宗の中本山となり、河内国 丹北・丹南・八上郡、摂津国東成・西成・百済・住吉郡にある39か寺を末寺とした。法明の大衣が今に伝えられると共に、境内墓地には法明の供養塔が見られる。
本堂裏の庭園には、樹齢600年といわれるイブキの木があり、大阪府天然記念物となっている。
一方、江戸幕府を開いた徳川家康は、元和9年(1623)、三河(愛知県)以来の直参であった高木正次に丹南の地を与え、高木氏は1万石の大名として丹南藩主となった。丹南藩は、来迎寺の東側に陣屋を置き、明治初年の廃藩置県まで続いた。
丹南藩は、江戸時代を通じてほぼ河内国丹南郡・丹北郡・志紀郡の20数か村を領地とした。高木氏は来迎寺を菩提寺としたことから、本堂には藩主代々の位牌が並び、 初代正次や11代正明の五輪塔も来迎寺墓地に祀られている。

松原ライオンズクラブ 2010-11