生きながら観音浄土への往生を目指し船出した補陀落渡海上人の墓

補陀落渡海上人の墓

補陀落渡海上人の墓とは、和歌山県那智勝浦町の世界遺産・補陀洛山寺の裏山にある、渡海上人たちを供養した墓石群のことです。
補陀洛渡海ははるか南方海上にあると信じられていた観音浄土への往生を目指し、僧侶を生きながらにして小船に乗せて那智の浜から送り出す宗教儀礼です。
小舟は外から釘を打ち付けられ、中からは出られないようになっており、ちょうど生きながらにして土中に埋められミイラとなった出羽三山の即身仏にも通じる思想といえます。

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補陀落渡海上人の墓へのアクセス方法と駐車場

補陀落渡海上人の墓は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜ノ宮の補陀洛山寺境内裏手にあります。
公共交通機関でアクセスする場合、JRきのくに線(紀勢本線)「那智駅」で下車して徒歩5分です。
マイカーやレンタカーでアクセスする場合、那智勝浦新宮道路「那智勝浦インター」で降りて3分です。
補陀洛山寺西側に境内駐車場の入り口があるほか、東側にも市営の浜の宮駐車場があり、ともに無料です。
(参考:補陀洛山寺の駐車場位置図)

補陀洛山寺と補陀洛渡海について

補陀洛山寺と補陀落渡海について、境内の案内板には次の通り書かれています。

補陀洛山寺の御案内

宗派
比叡山延暦寺を総本山とする天台宗山門派
当寺の沿革
補陀洛渡海で全国に知られる当寺は、仁徳帝 (三一三-三九九) の御代に印度より渡来の裸形上人により開かれたと伝えられ、那智本願の一寺として隆盛をきわめた。
御本尊
三猊十一面千手千眼観世音菩薩は、平安後期の作と伝えられ、御丈一メートル九〇センチの立像で、国の重要文化財の指定を受けている。
補陀洛渡海
那智の浜から生きたまま船に乗せ、観音の浄土、すなわち補陀洛山に往生しようとする宗教儀礼で、当寺から多くの行者が渡海した。
渡海上人の墓、二位尼、平時子、三位中將、平維盛の供養塔が裏山に現存している。
年中行事
一月二七日 立春大護摩供養祭
五月十七日 春まつり
七月十日 土用護摩供、先祖供養

文学作品にもなった補陀落渡海

生きながら観音浄土を目指す壮絶な補陀落渡海の伝説は、文学作品にも登場しています。
井上靖の短篇小説『補陀落渡海記』 では、補陀落寺の代々の住職は61歳になると観音浄土をめざし生きながら船で熊野灘に出る「渡海上人」のならわしがあったことを伝え、金光坊とよばれる渡海上人は俗世に未練を残しつつも、周囲の人々によって渡海を強要されてしまいます。一度は渡海に失敗し、船から脱出したものの、これを発見した人々によって、無慈悲にも再度船に詰め込まれて渡海させられてしまうという物語です。