沓井城の鎮守として勧請された梅の名所・加納天満宮

加納天満宮とは、岐阜県岐阜市にある神社で、室町時代に沓井城の守護神として勧請されたものです。
関ヶ原の戦い後、徳川家康が天下普請として加納城を築城すると、新たに加納城の守護神として川沿いの現在地に遷座し祀られました。
境内には戦災をくぐり抜けて残った山車「鞍馬車」が保管されており、岐阜市の有形重要民俗文化財に指定されています。

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加納天満宮のアクセス情報と駐車場

加納天満宮は、岐阜県岐阜市加納天神町4-1にあります。
公共交通機関でアクセスする場合、JR東海道本線高山本線「岐阜駅」南から徒歩で約5分です。
マイカーやレンタカーの場合、東海北陸自動車道「岐阜各務原インターチェンジ」から北に15分です。
参拝の車両は正面または東側の入り口から境内に直接入って駐車することができます。

加納天満宮の御由緒(略歴)

加納天満宮の御由緒について、境内の案内板に次の通り書かれています。

加納天満宮
御鎮座
文安二年(一四四五)、斎藤利永が加納の東南沓井郷に沓井城(旧加納城)を築き、その守護神として天満宮を勧請した。記録によれば創始は更に古く、それより百余年以前からすでに吉田城(広江川の北方、上加納の地)に祭祀せられていたという。
その後、城主斎藤利政(道三)が稲葉山城に移り沓井城は廃城となったが、天満宮は住民たちによって厚く奉斎されていた。
慶長五年(一六〇〇) 関ヶ原戦後、徳川家康は凱旋の折、岐阜城(旧稲葉山城)を廃し、加納城を構築した。その際に天満宮が城郭内に入ったので、新しい加納城鎮護の神として慶長六年 (一六〇一)これを広江川(清水川)を背にした閑静な現在地に遷座し奉った。これが加納天満宮の起源である。
加納城初代城主奥平信昌、正室亀姫をはじめ住人たちの信仰は厚く、現代に受けつがれている。

主なる祭典や年中行事
元旦祭 一月一日
鏡開き 一月四
七草祭 一月七日
成人祭 一月第二月曜日
左義長 一月十五日
初天神 一月二十五日
追儺祭 二月三日
紀元祭 二月十一日
祈年祭 二月十七日
初午祭 旧初午
みそぎ 六月三十日
提灯まつり 七月十四日
津島神社例祭 七月十五日
余香祭 九月の十五夜の宵
試楽祭 十月第四土曜日
例祭 十月第四日曜日
天神まつり 十月第四土・日曜日
七五三詣 十一月中
感謝祭 十一月二十三日
天長祭 十二月二十三日
大祓除夜祭 十二月三十一日
月次祭 毎月一日・十五日
誕生祭 毎月二十五日 (菅公のご縁日)
常時祈祷祭 受験合格・学業上達・ 厄祓・車祓・家内安全・ 安産・商売繁盛・諸願成就