嶺田用水建設を直訴し処刑された中条右近太夫を祀る井之宮神社

「井の宮神社」とは、静岡県菊川市にある、江戸時代に嶺田用水の建設を直訴して処刑された中条右近太夫を祀る神社です。
周囲を菊川が流れ、境内には隣の長安寺から移設再建された中条右近太夫の墓碑の五輪塔があります。

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井の宮神社のアクセス方法と駐車場

井の宮神社は、静岡県菊川市嶺田1番地の1にあります。
公共交通機関を使ってアクセスする場合、JR東海道本線の菊川駅から菊川浜岡線[公会堂・浜岡]浜岡営業所行のバスに乗って「平田」バス停で下車し、西へ徒歩15分ほどです。
マイカーやレンタカーの場合、東名高速道路の菊川インターチェンジで降りて南へ15分です。
境内に隣接して井之宮公園があり、無料駐車場とトイレが設置されています。

井宮神社と嶺田用水の由来

井宮神社と嶺田用水の由来について、現地の案内板には次のように記されています。

井の宮神社と嶺田用水の由来

昔、嶺田の地は水源に乏しく常に日照りの害の多い土地柄でした。慶長十二年 (一六〇七)徳川家康が鷹狩りにやってきた時、飲み水が濁っていることを憐れみ、村のはるか北にある奈良淵の水を引くよう命令しました。けれども具体的な計画もたてられないまま、この話も立ち消えになってしまいました。
義人ともいうべき人がいました。名を中条右近太夫といい、嶺田の農民でありました。日頃から日照りの害を深く嘆いている一人でした。ある日、志をたてて人々を日照りの苦しみから救うことを決意し、用水建設にとりくみはじめました。けれども、水源とする奈良淵の土地は他の領主が支配し、容易に出入りできません。右近太夫は日常から狂人のふりをし、凧をあげたり、大松にのぼったり、床下をはいまわったりしました。人々はそうした右近太夫 を「凧狂い」と呼び、狂人だと信じていました。右近太夫はこうすることによって、他の村に侵入して土地の高低や距離を測量しようとしたのでした。
苦心数年の後、右近太夫は用水建設の計画を領主の横須賀城主に何度も訴えましたが、その願いはとりあげてもらえません、右近太夫は家族に罪が及ぶことを避けるために妻や子を離縁して一人で江戸にのぼり、用水建設を直接幕府に訴えました。幕府は訴えが徳川家康とのゆかりの深いものであることを理由にこの宿願をききとどけました。けれども右近太夫は越訴の罪をまぬがれず、寛永三年一月二十三日に刑場の露と消えたと伝えられています。しかし、その子孫は永々として世をつぎ、国京の名を今に残しています。
人々はこの嶺田用水にかけた右近太夫の徳に感謝し長安寺の近くに祠をたて、「井の宮神社」と名づけておまつりし、命日をご大祭の日と定め、 毎年忘れることなく今日に至りました。以後嶺田用水は脈々として絶えることなく流れつづけ、今もなお、地域唯一の水源として活動しつづけています。