マルコポーロやフビライの五百羅漢がある盛岡の名刹・報恩寺

報恩寺

岩手県盛岡市にある報恩寺は南部氏が開基した曹洞宗の名刹で、江戸時代の享保年間につくられた五百羅漢があることで有名です。五百羅漢のなかには西域風の服装でフビライ・ハンやマルコ・ポーロといわれる像もあります。また、盛岡藩家老の楢山佐渡が戊辰戦争の責任を負って切腹した十八畳間があったのもこの寺院ですが、当時のものは火災で焼失しています。

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報恩寺のアクセスや駐車場

報恩寺の交通アクセスですが、どこから乗っても1乗車100円の盛岡都心循環バスでんでんむしがJR盛岡駅から出ていますので、右回り線に乗って10分ほどで本町通一丁目バス停に着きます。ここで下車して徒歩で15分ほどです。同様に松園ニュータウン行きの路線バスでもかまいません。または、盛岡駅で岩手県交通バスの松園営業所行きに乗って北山バス停で下車し、徒歩約5分ほどです。マイカーの場合には、東北自動車道の盛岡インターチェンジから車で約10分ほどですが、報恩寺山門向かって右側に参拝者用の無料駐車場があります。報恩寺と隣接する正伝寺の間の路地から進むと駐車場の入口があります。

報恩寺五百羅漢堂の料金や見学のしかた

報恩寺の連絡先は岩手県盛岡市名須川町31-5 電話019-651-4415です。山門を入ると正面奥に本堂があり、堂内で大人300円の拝観料を支払うと、向かって左手に五百羅漢堂の内部に行ける通路があります。トイレも同様にこの通路の途中です。見学時間は9時から16時までとなっています。堂内はかなり薄暗くなっていますので、足元に注意してください。

報恩寺および五百羅漢の歴史・由緒

寺院境内の案内板には次のとおり記載されています。

報恩寺は応永元年(一三九四)南部家十三代の英主守行公によって三戸に創建され、慶長六年(一六〇一)二十七代利直公のとき現在地に移転された。
藩制時代は寺領百石を有する南部領内二百八カ寺の総領であった。現在も寺域七千坪を有する曹洞宗一方の勝刹である。
本尊釈迦文殊普賢の三尊像は元大和中善寺本尊像で聖徳太子作と伝える。羅漢堂の中尊毘盧舎那仏は元大和橘寺金堂本尊像で弘法大師作と伝えている。
市文化財指定の羅漢堂及び五百羅漢像は享保二十年(1735年)の落成開光で、像は中国天台山像を模して京都で作製されている。
本堂背後の坐禅堂には文殊菩薩を中心に五十人分の禅床がめぐらされている。「瑞鳩峰山」の扁額を掲げる三門楼上には十一面観音がまつられている。

報恩寺五百羅漢
鳩峰山報恩寺は、旧盛岡藩における曹洞宗の名高い寺である。五百羅漢は当寺第17世曇樹一華が願主となり享保16年(1731)から造立をはじめ同20年(1735)8月20日、落慶供養をいとなんだものである。尊像制作者は、京都の仏師法橋宗而重賢、駒野定英珍盈、駒野丹下定孝ら9人。このように短期間に完成し、しかも木彫で、五百羅漢の数値にかなうような躯数が現存し、造立年代や願主、制作者まで明確に知りうることは全国的にみてもまれなことである。昭和41年10月18日、盛岡市文化財指定。現存の羅漢堂は、嘉永4年(1851)7月20日の再建。昭和45年2月25日、盛岡市文化財指定。