琵琶湖に浮かぶパワースポット竹生島にある日本三大弁財天のひとつ・宝厳寺

宝厳寺

宝厳寺は琵琶湖に浮かぶ竹生島に建つ真言宗の寺院です。聖武天皇が行基を遣わして建立させたといういわれがあります。太閤秀吉ともゆかりが深く、国宝の宝厳寺唐門はかつての大坂城にあった極楽橋を移築したものです。本尊大弁才天は「日本三弁才天」のひとつで、芸能上達や富貴、縁結びの御利益で知られます。

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竹生島宝厳寺へのアクセス方法とは

宝厳寺は古くからパワースポットとして知られる琵琶湖のなかに浮かぶ小島・竹生島にあり、陸地とは道路で直接結ばれているわけではありませんので、長浜港・彦根港・今津港のどれかの港から汽船でアクセスする必要があります。

長浜港・今津港発着のものは琵琶湖汽船、彦根港発着のものはオーミマリンで運航しており、所要時間は約25分から40分ほどです。船舶の運行情報については、各船舶会社のホームページにかかれています。

なお、それぞれの港には無料で駐車できる駐車場がありますので、マイカーで来た場合は港に駐車し、窓口できっぷを購入してから船に乗り込みます。

竹生島宝厳寺の拝観料や営業時間、御朱印は

宝厳寺の拝観料ですが、まずは船で竹生島に上陸すると入口にゲートがあり、入島料(竹生島奉賛会)として大人500円、小人300円を支払います。

なお、竹生島の入島料は令和元年10月1日に大人400円から500円に値上げ(小人は価格据え置き)されています。

もしも石段を登って宝厳寺の宝物殿を拝観する場合、拝観料として大人300円、小人250円がかかります。

宝物殿以外の建物は、竹生島神社を含めて、基本的に入島料を支払えば追加の負担はありません。

また、宝厳寺の拝観時間・納経時間は、原則として9時30分から16時30分ですが、これは観光船の就航時間と同じと捉えておけばよいでしょう。

竹生島宝厳寺では、本尊の大弁才天のほか、西国札所第三十番の千手千眼観音菩薩と御詠歌の御朱印を授与しています。御朱印は石段を上った本堂のところにある納経所で申し込むことができます。

竹生島弁財天宝厳寺の由来

現地の案内板に次の通り書かれています。

宝厳寺弁財天堂 昭和17年建築
竹生島宝厳寺の本尊は「弁才天」。寺伝によると神亀元年(724)、聖武天皇が天照皇大神の神託により僧行基に勅命し弁才天を祀ったのが始まりと言います。本尊の弁才天像は、江戸時代まで、島の東側の弁財天社(現、都久夫須麻神社本殿)に安置されていました。しかし、明治時代の神仏分離によって弁財天社は都久夫須麻神社本殿と定められたため、明治4年(1871)、やむなく弁才天像は 塔頭妙覚院の仮堂に仮安置されました。以来66年間、弁才天堂の造営は未着手のまま時が流れましたが、昭和12年(1937)6月、ようやく起工式を執り行うまでに至りました。しかし、翌月には盧溝橋事件が発生。日中戦争が勃発し半ば事業も中止状態になってしまいます。この事態を憂慮した東京在住の事業家滝富太郎は、自ら再建局長の任に着き、広く篤志を募る一方、巨万の私財を投じ遂に昭和17年(1942)10月、太平洋戦争中にも関わらず完成させたのが現在の弁才天堂です。なお、設計・監督は文部省の乾兼松。堂内の壁には、法隆寺金堂壁画模写事業の主任画家を務めた荒井寛方筆の飛天が描かれています。

重要文化財 宝厳寺五重石塔の説明
初重塔の四方には四仏が座され、台石の格狭間の形や各重笠石の反りの形状などから鎌倉時代の特徴が見られます。五重石塔で重要文化財の指定を受けているものは、全国で七基しかなく、これはその一つです。石材は、比叡山中から採掘される小松石によりつくられた石造りの五重の塔です。豪雨による土砂崩れにより水没し、未だ発見されていないため、相輪の下部のみが後補のものとなっています。

豊臣秀吉の大坂城唯一の遺構の国宝唐門
「唐門」とは、唐破風(中央が高く、左右になだらかな曲線で垂れる破風)をもつ門 という意味です。
この「唐門」は、京都東山の豊国廟(秀吉の亡がらを葬った廟所)に建っていたものを、 慶長7年(1602) 豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものと考えられています。移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てられています。
桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻を、二枚の大きな桟唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りで飾っています。豪華絢爛と言われた桃山様式の「唐門」の代表的遺構です。
平成18年(2006)、オーストリアにあるエッゲンベルク城で豊臣期大坂図屏風が発見されました。絵中にはこの門が大坂城にあった姿で、本丸北方に架けられていた「極楽橋」の形が描かれています。
唐門が付いたこの橋は、城内の堀などを越えて城主のいる本丸へと渡る廊下橋という形式の橋で、橋の上には屋根や望楼を持つ豪華なものです。大坂城の極楽橋は慶長元年(1596)に建造され、慶長5年(1600)に京都の豊国廟へ移築されたことが分かっています。エッゲンベルク城の絵図から判断して、竹生島の「唐門」は秀吉が建てた現存する大坂城唯一の遺構であることは、ほぼ間違いありません。