幕末の水戸天狗党353人処刑の悲劇を伝える武田耕雲斎等の墓

武田耕雲斎等の墓

福井県敦賀市にある武田耕雲斎等の墓は、江戸幕末の元治元年(1864)、京都を目指して進軍していた尊皇攘夷派の水戸天狗党が加賀藩に投降し、幕府役人の田沼意尊の取調で353人もの大量処刑となった悲劇を伝える国史跡です。墓の近くの松原神社は、戦死者・病死者まで含めた水戸烈士411柱を祀り、境内には捕縛中に天狗党員が劣悪な環境で監禁されていた鯡蔵が記念館として保存されています。

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武田耕雲斎等の墓のアクセス方法と駐車場

武田耕雲斎等の墓のアクセスですが、公共交通機関の場合は、JR敦賀駅からコミュニティバス「松原線」か「常宮線」で「松原公園口」バス停で下車するか、ぐるっと敦賀周遊バスで「松原神社」バス停で下車します。
マイカーやレンタカーの場合は、北陸自動車道敦賀インターチェンジから10分程度です。現地には駐車場があります。

武田耕雲斎等の墓の解説

武田耕雲斎等の墓の由来について、現地に次のとおり案内板が掲げられています。

武田耕雲斎等墓
元治元年十月水戸藩武田耕雲斎の党は尊攘の大儀を唱え西上の途次越前に入り十二月敦賀郡新保宿にて大雪に遭い慶喜の軍門に下れり翌五年二月幕府は耕雲斎以下三百五十三名を斬首せり今此の墓地は当時の刑場にして遺骸を埋めて土盛り、方十二間高さ八尺西面して十三基の墓が建てられている。
昭和九年十二月二十八日文部省より著名なる人物の墓として二百五十六坪の地域を史蹟に指定され現状の変更樹木の伐採は出来ない様保護されている。
敦賀水戸烈士遺徳顕彰会