九尺藤と紅葉で知られる丹波の名刹・白毫寺

白毫寺

兵庫県丹波市の白毫寺は、慶雲2年(705)法道仙人により開基され、中世には山内93坊を数えたという丹波きっての名刹で、天正時代に明智光秀の丹波攻略に伴う兵火で伽藍を焼失後、再建されたと伝わっています。花房の長さが150センチにはなるという晩春の九尺藤や秋の紅葉などが見どころです。

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白毫寺のアクセス方法と駐車場

住所 兵庫県丹波市市島町白豪寺709
電話番号 0795-85-0259

白毫寺は市街地を離れた山のなかにありますので、マイカーまたはレンタカーでアクセスするのがよいでしょう。
舞鶴自動車道・北近畿豊岡自動車道の「春日インターチェンジ」を降りると福知山方面へ車で10分ほどです。
公共交通機関を使う場合は、JR福知山線の市島駅で降りて、そこからはタクシーで8分ほどです。
境内の手前に無料駐車場があります

白毫寺の御朱印とハローキティお守り

白毫寺の御朱印は、奥の山門を入って左より、本堂隣りの庫裡でいただくことができます。
本尊薬師如来の「医王殿」ほかいくつか墨書きが異なる種類があります。
白毫寺には藤の花をあしらったオリジナル御朱印帳もあり、大サイズは1500円、小は1200円です。
白毫寺オリジナルのハローキティお守りは800円で、着物姿で和傘をさしたキティちゃんと藤の花が錦袋に描かれています。

白毫寺の縁起

白毫寺の縁起については現地に次のような案内板があります。

天台宗五大山白毫寺由緒

慶雲二年(七〇五年)法道仙人により開基。本尊は法道仙人が天竺より伝来せし閻浮檀金の薬師瑠璃光如来なり。仙人は播州法華山一乗寺を開かれし後に丹波国に移り、当地は正に仏法有縁の勝地なりと開山。本尊を安置し、法燈の永照と当国の安寧を祈願するに、不思議なるかな、梵天帝釈や四天王の擁護あり。諸天は歓喜し空中に妙音を奏で、天上より異香芬々たる花びらを舞い散らせり。この時、本尊は眉間の白毫より光明を放ち給うたが故に「白毫寺」と号すと伝う。
その後、慈覚大師円仁が入唐帰国の折りに来錫。この山の境地、さながら唐にて修行せし五台山に似たりと、将来の曼荼羅や五種鈴など密法仏具を奉納し、山号を「五台山」と命名(現在は五大山を使用)。以来、四方の学徒来集し隆盛を極む。
鎌倉時代、北条時頼公巡国の折に当山に投宿し、縁起を聞いて感嘆。諸堂再建に財を投じ、三方に下馬札を設けて崇敬を加え、更に当山護持に荘園を寄進。これにより丹波屈指の名刹として隆盛し、堂塔伽藍は甍を競い、その数九十三坊に及ぶ。
戦国の世に到り、織田信長の丹波攻略の命により明智光秀は数萬の軍兵を率いて幾度と来襲するも、黒井城(保月城)の城主赤井悪右衛門直政は、白毫寺や神池寺の僧兵の援護により攻防し、光秀軍は破れて撤退。天正七年(一五七九年)、光秀軍三度目の丹波攻略の折、裏山の堂床より黒井城へと送水せしことを知り、白毫寺を堂塔一字残さず焼払いて水源を断ち、遂に落城に到る。
しかしこの時、白毫寺西南に聳ゆ五軸の峯の頂に夜な夜な輝く光明の噂が光秀の耳に及ぶ。この不思議を軍兵従えて調ぶれば、焼き討ちの猛火の中より飛び出でた本尊薬師如来が光明を放ちて鎮座せし姿に遇い、一同ひれ伏して感涙。光秀は筆頭家老の斎藤利三を黒井城主に命じ置き、白毫寺復興に尽力したという。
爾来、明治の廃仏毀釈・戦後の農地解放により往時の寺勢や寺域を減すと雖も、檀信徒はじめ十方の篤き信仰により、一千三百年の法燈を今に輝かす。