生涯無敗の二天一流の始祖が幼少期を過ごした場所・宮本武蔵生家

宮本武蔵生家

岡山県美作市の宮本武蔵生家は、「武蔵の里」として整備された一区画にあり、二天一流兵法の創始者である宮本武蔵が少年期を過ごしたところです。ただし戦前に焼失して現在の瓦葺の建物となっています。付近には武蔵神社・武蔵の墓・讃甘神社などの宮本武蔵ゆかりの場所があります。なお、見学ができるのは外観のみとなっています。

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宮本武蔵生家のアクセス方法と駐車場

宮本武蔵生家のアクセスは、公共交通であれば智頭急行宮本武蔵駅で降りて徒歩10分です。
マイカーやレンタカーの場合は、鳥取自動車道大原インターチェンジから県道240号経由で5分となります。
駐車場は武蔵の里内駐車場を無料で利用できます。

宮本武蔵生家の由来

宮本武蔵生家の由来について、現地に次の通り案内があります。

宮本武蔵生家
宮本武蔵の生家は約六十メートル四方のここ宮本の構にあり大きな茅葺きの家であった。昭和十七年に火災に遭い現在の瓦屋となったが、大黒柱の位置は昔と変わらないと伝えられている。
武蔵は天正十二年(一五八四年)に生まれ、父を平田無二(無二斉)、祖父を平田将監といい、両人とも十手術の達人であった。こうした武術家の家に生まれ育った武蔵は幼少の頃から武術にたけており、十三才の時、播州平福で新当流有馬喜兵衛に勝ち、それ以後諸国を巡って剣の道一筋に練磨し、二十九才で佐々木小次郎に勝つまで生涯に六十余度の勝負をし一度も負けていない。武蔵は剣の流儀を二天一流と称し、その兵法を五輪書、兵道鏡に残した。また、書、絵、彫刻、工芸を好み禅の修業を重ね「枯木にもずの絵」等、今日重要美術品とされている数々の作品を残して、正保二年五月(一六四五年)、熊本の千葉城にて六十二オで亡くなり弓削の里に葬られた。
美作市