かつての極楽坊跡に建つ北方鎮護の安祥毘沙門天

「安祥毘沙門天」とは、愛知県安城市にある寺院です。
平安時代、この地に庄園として「志貴庄」があったころ、「安城六坊」と呼ばれる6つの寺院があり、そのひとつが「極楽坊」で、現在の「安祥毘沙門天」のはじまりとされています。
後に安城松平氏の本拠地が岡崎に移ると、極楽坊も移転したとされますが、明治時代になって、もとの場所に戻そうという運動が起こり、今日の「安祥毘沙門天」となったということです。

広告

安祥毘沙門天のアクセス

安祥毘沙門天は、安城市東明町11番地8にあります。
名鉄西尾線の南安城駅から歩いて5分です。
東名高速道路の岡崎インターチェンジからは車で25分です。

安祥毘沙門天の由来

安祥毘沙門天の由来について、境内の案内板に次のように書かれています。

市指定史跡 安祥毘沙門天 昭和46年3月10日指定

現在の安城町周辺には、平安時代の荘園志貴庄下条と甲山寺(安城町甲山寺と推定)および安城六坊と呼ばれた寺院があったという説があります。明治20年(1887)の『安城村地誌材料調査』によれば、六坊とは多宝坊 (安城町多宝坊)、東円坊(安城町名広)、花蔵坊(安城町照路)、法寿坊(不明)、吉祥坊(不明)と、この毘沙門天をまつった極楽坊(現東明町 旧安城町極楽坊)とされます。
毘沙門天とは、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)の多聞天を、独尊として信仰する際の呼び名です。北方の守護神と考えられ、境内にある石像には、甲冑に身を固め、左手に宝塔を捧げ、右手に戟を持って邪鬼を踏みつける姿として描かれています。戦国時代、安城城(安祥城)に松平総領家があったころには、城の北方面を鎮護する役割があったと伝えられます。
享禄3年(1530)、松平清康(徳川家康の祖父)が総領家を岡崎に構えたのにともない、甲山寺、安城六坊とともに毘沙門天も移転したとされます。しかし、明治時代になると、地元の有志が毘沙門天の霊験を慕い、かつての極楽坊の地に堂宇を建て、甲山寺(岡崎市六供町)から再遷座させたとされるのがこの安祥毘沙門天です。
今日では、平安時代の安城の名残とされる数少ない存在です。

郷土の文化財を大切にしましょう 安城市教育委員会