宮本武蔵が二刀流を思いついたという縁の深い讚甘(さのも)神社

讚甘(さのも)神社

岡山県美作市の讃甘(さのも)神社は、宮本武蔵の生家の隣にある武蔵ゆかりの神社で、大己貴命を待っています。宮司が太鼓を打つ際のバチの響きから二刀流を思いついたといわれています。拝殿は津山藩主・森長継によって改築されたものです。周辺には「武蔵生家跡」や武者修行へ旅立つ際に飲んだという「一貫清水」、武蔵を供養する「武蔵の墓」などの名所が点在しています。

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讃甘神社のアクセス方法と駐車場

住所 岡山県美作市宮本132

讃甘神社のアクセス方法ですが、公共交通機関を使う場合は、智頭急行智頭線の宮本武蔵駅で降りて徒歩15分です。
マイカーやレンタカーの場合は、鳥取自動車道大原ICから車で3分となります。
境内に駐車場はありませんが、周辺に観光用の無料駐車場があります。

讃甘神社の由緒

讃甘神社の御由緒については、社頭に次の通り案内があります。

讃甘神社
因幡往来に沿った本社の両部鳥居をくぐると先ず拝殿の向拝の唐破風が目にはいる。
本社は明暦3年(1657年)下庄より分村した宮本にある。史書によると・・・
往昔讃甘郷中の総鎮守にして荒牧大明神と称せり。旧社地は当所真近山大段と称する所に鎮座あり、天正年間兵火に焚け今の地に遷し奉る。・・・と記されています。
棟札によると
寛文元年(1661年)9月 平尾七郎衛門社殿を再建
元禄8年(1695年)1月 美作国主森長成社殿再建
嘉永3年(1850年) 社殿改築の際明石城主松平兵部大夫源斉宣の崇敬により米五石・金一封を寄進せらる
明治6年(1873年)2月 郷社に列せられ讃甘神社と改称す
明治44年(1911年)3月 本村水根の無格社清地神社外11社の祭神を合祀す
12月 銀弊帛料供神社に指定される
となっています。
・・・境内は九畝一歩。本殿は梁間一間半・桁行二間・拝殿二間に二間半。祭神は中央に大己貴命(大国主命の別名)・左に味耕高彦根命右に事代主命を祀る。境内に神子七社(現在庚申社・稲荷社・荒神二社・天神社)あり。神木は杉と槻。祭礼は年中五度9月25日を以て大祭日とす…
また・・武蔵幼年の時荒牧の神社に遊んで太鼓をうつ有様を見て二本の撥を以て左右の音等しきを感悟し十手を以て二刀に替えたり・・・と代々十手の達人の家にうまれた宮本武蔵幼年時代を語る所縁の神社です。少年たけぞうが巨木のかげから飛び出してくるようです。
美作市