立石寺・若松寺・慈恩寺:出羽名刹三寺まいりとは

出羽百観音 観光
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かつて出羽国と呼ばれた山形県、奥羽山脈や朝日山地に囲まれた盆地に人々が住まう村山地方には、草創からすでに千年以上もの歴史をもつ、古くからの寺院がいくつもあります。

そこで、悪縁切りの「立石寺」、若返りの「慈恩寺」、縁結びの「若松寺」として、3寺をめぐってご利益にあやかる観光キャンペーン「出羽名刹三寺まいり」が、平成26年(2014)から出羽名刹三寺まいり連絡協議会を中心に行われてきました。

良縁成就をイメージしたさくらんぼ色のオリジナル御朱印帳や共通拝観券などのパッケージも好評で、当初の期間終了後も継続的にアナウンスされています。

悪縁切りの「立石寺」

立石寺

「立石寺」は、「山寺」の通称がある天台宗の古刹で、山形市の市街地北東の山間部に位置し、薬師如来を本尊としています。

貞観2年(860)、清和天皇の勅願により慈覚大師(円仁)が開山したといわれ、伝教大師(最澄)がみずから灯した「不滅の法灯」を分け与えられています。

逆に織田信長の「比叡山焼き討ち」で延暦寺に灯されていた「不滅の法燈」が消えたときには、この「立石寺」から延暦寺に火が分け与えられたという歴史もあります。

室町時代には戦乱に巻き込まれて衰退しますが、戦国大名の最上義光らの寄進で再興が図られ、現在も山内に「最上義光公霊屋」があり、最上一族の霊を祀っています。

江戸時代には俳人・松尾芭蕉が山寺を訪れ、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句を読んだことは有名です。奥之院に至る境内の参道中腹には、松尾芭蕉の句を書いた短冊を埋めたという「せみ塚」が残ります。

現在はおよそ33万の敷地の中に、根本中堂のほか五大堂・開山堂・奥之院や4つの支院の建物があります。

ちなみに、慈覚大師円仁の墓は比叡山とこの山寺の2か所がありますが、戦後の発掘調査により山内の「入定窟」から5体の人骨と平安時代の木彫りの頭像が見つかっており、うち頭蓋骨のない遺体が円仁のものとみられています。

立石寺
■所在地:山形県山形市山寺4456
■電話番号:023-695-2843
■拝観時間:4月~9月は8:00~16:00、12月~3月は8:00~15:00(閉門16:00)
■入山料:(奥之院へ登山する場合)大人300円、中人(中学生)200円、小人(4歳児以上)100円
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR仙山線「山寺駅」から徒歩10分/山形自動車道「山形北インターチェンジ」から車で15分
■駐車場:周辺に民間の有料駐車場あり(いずれも500円程度)

若返りの「慈恩寺」

慈恩寺

山形県寒河江市にある慈恩宗の本山が「慈恩寺」です。

奈良時代、諸国を巡錫していた行基がここに景勝の地があることを聖武天皇に報告し、天平18年(746)、勅命により婆羅門僧正(菩提僊那)が開山したと伝えられます。

平安時代にはここに藤原摂関家の荘園である寒河江荘があったことから、「慈恩寺」は鳥羽天皇の御願寺とされました。
鎌倉時代には幕府政所別当として知られる大江広元の一族が地頭となり、その庇護を受けて栄えました。
江戸時代には別当・最上院と学頭・宝蔵院及び華蔵院をはじめとする3か院48房からなる巨大な寺院で、御朱印高は東北最大の2,812石を誇ったといいます。
ところが、明治時代に太政官布告として社寺領上知令が発せられ、朱印地を国に取り上げられてしまったことから、現在は3か院17坊にまで減ってしまいました。

それでも旧境内の様相を良好にとどめているとして、平成26年(2014)には旧境内地全体が国史跡に指定されたほか、本堂の建物は国重要文化財に指定されています。

山麓には「慈恩寺テラス」がオープンし、寺院の歴史の紹介や仏像などの展示をするとともに、観光ガイドによる案内やカフェでの飲食の提供を行っています。

慈恩寺
■所在地:山形県寒河江市慈恩寺地籍31
■電話番号:0237-87-3993
■拝観時間:9:00~16:00(年中無休)
■拝観料金:境内自由、本堂内・薬師堂内拝観は大人700円、障害者600円、高校・大学生500円、小中学生200円、未就学児無料
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR左沢線「羽州高松駅」から徒歩25分/山形自動車道「寒河江インターチェンジ」から車で15分
■駐車場:無料

縁結びの「若松寺」

若松寺

若松寺」は、県庁所在地である山形市の隣、天童市にある天台宗の寺院です。本尊に聖観音菩薩を祀ることから「若松観音」とも呼ばれます。

民謡の花笠音頭に「めでためでたの若松さまよ」とあるのは、正月の門松に使われる松の若木のこととする説もあれば、実はこの「若松寺」のことではないかとする説もあります。

「若松寺」は、和銅元年(708)に行基が開山し、貞観2年(860)には立石寺を開山した慈覚大師(円仁)が、山頂にあった堂宇を現在の場所に移し、壮大な伽藍を整備したものと伝えられます。このときに南都六宗の一つである法相宗から天台宗に改められたため、慈覚大師は中興の祖に当たります。

室町時代には「西国三十三所」のような信仰がこの地域にも伝播し、「若松寺」が「最上三十三観音」の第一番札所となり、江戸時代には観音堂が改修され、現在でも多くの観音巡礼の人々が参拝に訪れています。

「若松寺」の絵馬堂には山形独特の風習にもとづく「ムカサリ絵馬」が多数奉納されています。これは戦争や病気で未婚のまま亡くなってしまった若者の霊をなぐさめるため、架空の嫁との結婚式の模様を絵馬に描いたものです。

若松寺
■所在地:山形県天童市山元2205-1
■電話番号:023-653-4138
■拝観料:無料
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:東北中央自動車道「天童インターチェンジ」から車で20分
■駐車場:無料
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コメント

  1. […] 若松観音(若松寺)は山形県天童市の山中にあり、花笠音頭の歌詞にも登場する有名な寺院です。行基開山という古い歴史をもち、観音堂は国の重要文化財です。独身のまま亡くなった子のために架空の花嫁と一緒に描いて奉納する独特の民俗・ムカサリ絵馬も絵馬堂に多数奉納されています。住職と握手して良縁に恵まれたという報告がテレビでも話題になったことがあり、予約をして訪れる若い女性も多くみられます。 […]