新発田総鎮守でおすわさまの愛称で親しまれる諏訪神社

新発田諏訪神社

新潟県新発田市の諏訪神社は、大化4年(648)に現在の聖籠町諏訪山に鎮座したのが始まりとされる新発田総鎮守の神社で、「おすわさま」の愛称で親しまれています。諏訪神社の初詣には毎年3万人の参拝者が訪れ、無病息災や厄除け・縁結び・安産祈願などをしています。

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新発田諏訪神社のアクセス方法と駐車場

住所 新潟県新発田市諏訪町1-8-9
電話番号 0254-22-2339

諏訪神社への交通アクセスですが、JR白新線「新発田駅」で降りれば徒歩3分です。
マイカーやレンタカーの場合は、日本海東北自動車道「聖籠新発田IC」より車で15分となっています。
境内に普通車50台分の無料駐車場があります。

諏訪神社の「御柱」(おんばしら)

新発田の諏訪神社には天高くそびえる御柱があります。これはモミの大木を山から伐り出し枝葉を落としたもので、本家にあたる長野県の諏訪大社では、御柱を山から大勢で曳き出して境内に樹立する「御柱祭」でにぎわいます。
この新発田の御柱も長野県の諏訪大社から下賜を受けた本物で迫力があります。
境内の案内板には次のようにあります。

新発田の「御柱祭」
この御柱は信濃国之宮諏訪大社春宮に平成二十二庚寅年に建てられた一之柱です
当社が平成十六甲申年に再建されたとき記念として「秋宮二之社」が下賜されたのが始まりです
爾来平成二十二庚寅年に「秋宮之柱」を そして今年(平成二十八丙申年)「春宮一之柱」を拝受させて戴きました(三本目です)
諏訪大社に倣い新発田の城址公園より諏訪の方々と大勢の市民と共に境内まで曳いて参りました
これから先六年(数えて七年)新発田市の安全と市民の安寧を見守ってくれることと思います

平成二十八年八月二十一日建之
新発田總鎮守 諏訪神社

義民・大竹与茂七と五十志霊神社

新発田市の諏訪神社の境内には五十志霊神社があります。
これは柴田藩主の溝口氏ゆかりの功労者を合祀した神社ですが、このなかに大竹与茂七も祀られているといいます。
大竹与茂七は江戸時代の新発田藩中之島組の庄屋で、信濃川が破堤した際に氾濫を食い止めて百姓を救った功績があります。
ところが大庄屋と訴訟沙汰になってしまい、この訴訟に破れて死罪・獄門になったということです。
現在は義民としてこの神社をはじめ、長岡の与茂七地蔵などに丁重にお祀りされています。
神社前の案内板には次のとおりあります。

五十志霊神社 六月二、三日例祭
はじめ宗源社といったが明治維新後天神地祇と五十志霊神 (溝口氏ゆかりの霊)を合祀して五十志霊神社と称した、与茂七とも霊神の一人であるという。
与茂七は新発田藩中之嶋組の名主で宝永元年信濃川および支流の堤防が破堤したときその防御工事を庄屋義兵衛茂左衛門に要請したか受入れられなかったので藩の御用材を無断て伐採して堤防を修理した。その後凶作の救米金や年貢米取立のことなどで庄屋名主間の紛争となり、農民を代表した与茂七等によって新発田藩へ訴えられた。 裁きの結果は「組中、党をくんで庄屋へ難題を申しかけた首謀者」の罪で、与茂七他四人の名主は斬罪に処せられた。
正徳三年(一七一三)六月二日のことである。
一身を犠牲にして村民のために尽した与茂七の行動は後世にまでたたえられている。
新発田市観光協会