武田信玄も戦勝祈願した穴場スポット・窪八幡神社

大井俣窪八幡神社

大井俣窪八幡神社(おおいまたくぼはちまんじんじゃ)は、山梨県山梨市にある甲斐武田氏とゆかりの深い神社です。武田信玄もたびたび戦勝祈願をし、横長の拝殿は武田信玄の父の武田信虎が造営したものです。境内の多くの建物が国重要文化財に指定される穴場的な観光スポットです。

写真:車椅子で行く神社仏閣・パワースポットの旅

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大井俣窪八幡神社のアクセス・駐車場

鎮座地

山梨県山梨市北654

笛吹川の流れに近い国道140号の八幡橋西詰交差点から西に入った突き当りにあります。途中に木製の古い両部鳥居が道路をまたぐように建っていますが、これは天文4年(1535年)に武田信虎が奉納したもので、現存する日本最古の木造鳥居として国の重要文化財です。

駐車場

大井俣窪八幡神社は正面向かって右側の境内にマイカーが駐車できる無料駐車場があります。正面は石段で徒歩でしか入れませんので、突き当りを右折、石垣で囲まれた外周道路の切れ目を左折して、駐車場入口まで車で進む必要があります。

大井俣窪八幡神社の文化財

大井俣窪八幡神社には次のとおり国の重要文化財に指定されている建物などが数多く存在しており、いずれも一見の価値があるおすすめのスポットです。

本殿   応永十七年(1410年) 武田信満 再建
拝殿   天文三年(1534年)  武田信虎 造立
若宮本殿 応永七年(1400年)  武田信満 再建
若宮拝殿 天文五年(1536年)  武田信虎 再建
武内社  明応九年(1500年)  武田信昌 再建
高良社  明応九年(1500年)  武田信昌 再建
神門   永正八年(1511年)  武田信虎 再建
石反橋  天文四年(1535年)  武田信虎 造立
大鳥居  天文四年(1535年)  武田信虎 建立
比め三神 寛永二年(1625年)  徳川忠長 再建
鰐口  天文二十二年(1553年)窪川宮内丞 寄進

大井俣窪八幡神社の御朱印対応は

大井俣窪八幡神社の拝殿は高台にありますが、その高台の下、正面右側に民家のような趣きの社務所があります。「御札所」という看板が掲げられていますので、ここで御朱印をいただきます。基本的に土曜日・日曜日・祝日は空いていますが、平日や他の場所での祭事がある場合には閉まっていることもあります。

大井俣窪八幡神社の歴史や由来

社頭の案内板には次のとおり記されています。

重要文化財 窪八幡神社 本殿
明治四十年八月二十八日特別保護建造物(国宝)指定
昭和二十五年五月、重要文化財と改称
十一間社流造、檜皮葺
御祭神 北殿、仲哀天皇(足仲彦尊) 中殿 応神天皇(誉田別尊) 南殿 神功皇后(気長足姫尊)
当社は、貞観元年(八五九)清和天皇の勅願により、豊前国(大分県)宇佐八幡宮より勧請、東国鎮護として笛吹川の中島、大井俣の地に建立。後に現在の窪の地に遷座した。甲斐源氏一門、とくに国主武田氏の崇敬篤く、代々社殿造営を行っている。現本殿は、応永十七年(一四一〇)武田信満が再建。享禄四年(一五三一)武田信虎が修復、弘治三年(一五五七)武田晴信が川中島合戦の戦勝祈願成就によって、御扉と金箔による豪華な壁画を奉納している。昭和二十六年、解体復元工事が竣工した。